12月5日から12月13日までに奪われた光
埼玉県川越市に住んでいた難波絵梨香ちゃん(当時4歳)が、1988年12月9日午後4時30分ごろ誘拐され、午後7時ごろ車内で首を絞められ、窒息死しました。
この事件は、埼玉東京女児連続殺人事件として、当時の世間を震撼させたものです。
1990年12月9日午後1時15分、智片直子ちゃん(当時11歳)が亡くなりました。この事件の犯人は逮捕されないまま、公訴時効が昨年成立しました。
2000年12月10日、谷川依織ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。
この事件について、平成15年10月15日の名古屋高裁判決文によれば、
2000年11月上旬から、依織ちゃんは朝食を与えられなくなり、昼食も1日おきに、夕食はご飯にみそ汁などをかけたものを与えられてた程度だったそうです。そして、台所脇の3畳間に閉じこめられ、食事の時以外は両手両足をひもで縛られた状態で放置されていましたが、11月18日ごろからは、底にタオルケットを敷いた段ボール箱に入れられ、更に上から別の段ボール箱で蓋をされ、身動きすらできない状態にされていたそうです。同23日ごろには、自分の上半身を支えられないほどにやせ細っていたそうです。その後、風呂に入れられず、紙おむつや着衣を取り替えられなかったため、糞尿にまみれた状態で放置され、食事も夕食を1日おきくらいにスティックパン2本とミルク約200㏄を与られるだけとなり、とうとう、12月10日に息を引き取りました。
2001年12月8日、黒川留圭(るか)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。
2003年12月12日、岡本彩華(あやか)ちゃん(当時生後4ヶ月)が亡くなりました。
2004年12月5日、岩崎花菜(かな)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。
2004年12月13日、大孝ありすちゃん(当時3歳)が亡くなりました。
2005年12月7日、吉村龍也ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。
事件は、午前7時50分ごろおきました。父親の再婚相手である母親によって、のみぞおち付近を2度にわたってけられ、肝臓破裂などによって亡くなりました。毎日新聞(2005.12.09 中部朝刊)によれば、「母親ができる前は、祖母の家に預けられたり、一人で寂しそうに歩いている姿がたびたび目撃された」そうですが、10月に父親が再婚したことで、龍也ちゃんは母親ができてうれしそうだったそうです。
2005年12月10日に、堀本紗也乃(さやの)ちゃん(当時12歳)が、学習塾の教室内で、塾講師に首を刺されて殺害されました。本当なら、中学一年生として、新たな人生を歩んでいるはずでした。
2006年2月20日、紗也乃ちゃんのお父さんのコメントが公表されました。それは、以下のものです(共同通信 2006年2月20日より)。
平成五年八月三日生まれ。「さやの」は優しく聞こえる音の響きから命名。「紗」は絹織物の意味。丈夫で美しく育つようにとの思いをこめた。あとは、画数。
小さなころは寝相も悪かったが、体力のある子で、寝付きも良く、生命力の強い子だと思っていた。
友達といる時はいつもニコニコしていた。恥ずかしがり屋で、授業中など積極的に発言するタイプではなかった。ふんわりとした優しい子どもだった。
京都に帰ってからも「ドラえもん」を見ていた。東京ディズニーランド、シーが大好きだった。
平成十七年一月末日、同級生十人ぐらいと「としまえん」(遊園地)で遊んだ。そのときにもらったプレゼントをものすごく大切にしていた。
平成十七年三月二十四日、東京の官舎から自家用車で家族四人で(京都に)帰るとき、杉並第二小学校の同級生十人ぐらいがお別れに来てくれて、お別れを伝えた後も、百メートルぐらい走って追っかけてくれた。その後紗也乃は別れの寂しさから三十分ぐらい車の中で泣いていた。
【最近の状況(京都)】
妻が塾に迎えに行って待つ時間があるため、塾の勉強が終わったら、電話するのでそれから迎えに来てくれたらいいと、親を気遣ってくれる子。
学校の先生や、友達の不満など自宅でも言ったことがない。(萩野は別)
私自身紗也乃の死がなければ見ることがなかったと思うが、小学五年生の手帳には、大事なもの「友達」、小学六年生の手帳には、大事なもの「友達、家族」と記されていた。
東京の友達からもらったミサンガを身につけていた。
ご両親の無念を考えると胸が痛みます。
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