12月に奪われた光

 前田和哉ちゃん(当時3歳)が、1975年12月15日午後に、自宅前で遊んでいるうちに行方不明となり、1978年8月2日、自宅から約30メートル離れた路地で衣装かんの中で白骨化した姿で発見されました。この事件で、犯人が逮捕されずに、法律的に時効となってしまいました。

 難波絵梨香ちゃん(当時4歳)が、1988年12月9日午後4時30分ごろ誘拐され、午後7時ごろ車内で首を絞められ、窒息死しました。

 中村俊希ちゃん(当時7歳)が、1999年12月21日午後2時ごろ、校庭で友達と五人で鬼ごっこをして遊んでいるところ、若い犯人に長さ30cmの文化包丁で首などを切られ、出血多量のため亡くなりました。犯行当時「てるくはのる」という識別記号を犯行声明文と残した犯人は、自殺をしました。

 2000年12月1日、合木龍太ちゃん(当時5ヶ月)が亡くなりました。
 龍太ちゃんは6月下旬に未熟児として生まれ、9月中旬まで病院の保育器で育っちました。10月上旬ごろから、母親の虐待が始まったそうです。12月1日には、頭や顔を平手でたたかれ、床に落とされるといった暴行を受け、硬膜下血腫などによる水頭症で亡くなりました(産経新聞、2000.12.03、東京朝刊)。

 2000年12月10日、谷川依織ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 宮沢にいなちゃん(当時8歳)、礼ちゃん(当時6歳)を含む一家4人が、2000年12月30日深夜から31日早朝にかけて、殺害されました。
 にいなちゃんは、利発で面倒見のいい子で、礼ちゃんは、甘えん坊でもがんばり屋な子でした。

 2001年12月2日、形井久之(ひさし)ちゃん(当時2歳5ヶ月)が亡くなりました。

 2001年12月8日、黒川留圭(るか)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2003年12月12日、岡本彩華(あやか)ちゃん(当時生後4ヶ月)が亡くなりました。

 2004年12月1日、藤田優人ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2004年12月5日、岩崎花菜(かな)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2004年12月13日、大孝ありすちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2004年12月20日、川北依楼(えみる)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2004年12月27日、堀内美久(みく)ちゃん(当時9歳)と堀内賢夢(けんむ)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2004年12月28日、山下結友也ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。(この事件では、虐待したとして逮捕された祖母は嫌疑不十分のために不起訴となっています。)

 2005年12月2日、吉田有希ちゃん(当時7歳)が、下校途中に誘拐された後、刃物で胸を数箇所刺されて殺害されました。遺体は、山の中に遺棄されていました

 2006年12月6日、江木友貴ちゃん(生後23日)が亡くなりました。

 2007年12月3日午前6時ごろ、和歌山市宇須で、高田翔ちゃん(当時12歳)が、祖父と母とともに刺殺されました。
 校長先生によれば、「スポーツが大好きな子。サッカーが得意で礼儀正しかった」そうです(共同通信、2007.12.05)。

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11月に奪われた光

 1999年11月22日午前11時50分ごろ、若山春奈(わかやまはるな)ちゃん(当時2歳)が、亡くなりました。

 2000年11月2日、酒井千月(ちづき)ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。

 2000年11月3日、徳永将幸ちゃん(当時3歳)が、下関市秋根新町の自宅で虐待を受けて、亡くなりました。母親の交際相手に、顔を殴られたり、畳や布団に頭を打ちつけられたりして、外傷性急性硬膜下血腫(けつしゆ)などのため死亡した(毎日新聞、2001.04.19、地方版/山口)。

 2003年11月2日、安岐海帆(みほ)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2003年11月15日、小西加織ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。

 2003年11月17日、安部憂那ちゃん(当時5ヶ月)が、福岡県古賀市の自宅で父親から強く柱に打ちつけられて、翌18日に、外傷性脳挫傷で亡くなりました。

 2003年11月27日、浅川美夢(みみ)ちゃん(当時4ヶ月)が亡くなりました。

 2004年11月8日、井口桃華ちゃん(当時6ヶ月)が亡くなりました。

 2004年11月16日、星野渚ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

 2004年11月17日午後3時20分ごろ、有山楓(かえで)ちゃん(当時7歳)が、亡くなりました。

 2005年11月22日、木下あいりちゃん(当時7歳)が、亡くなりました。

 2006年11月6日、泉侑樹ちゃん(当時5歳)と朋樹ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。
 午後3時45分ごろ、福岡市新市町にある元国民保養センターの南側駐車場に止めた乗用車内で、朋樹(ともき)ちゃん(当時3歳)が首を絞められ、4時20分ごろ、北側約360メートルの駐車場で侑樹(ゆうき)ちゃん(当時5歳)が、首を絞められて亡くなりました。障害があった侑樹ちゃんと朋樹ちゃんの育児の悩みなどが原因で、広島高裁(2008年11月25日判決)は、「周囲の者が適切な措置を取らなかったことから息子らと心中を図った」と判示しています。

 2006年11月24日、高橋尚也ちゃん(当時7歳)と信也ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。
 札幌市東区の自宅アパートで、午後3時ごろ、尚也ちゃんが、午後4時30分ごろ、信也ちゃんが、無理心情を図ろうとした母親に首を絞められて殺害されました。尚也ちゃんが知的障害(軽い精神遅滞)から学校でいじめられていたことを思い悩んでの犯行でした(読売新聞、2007.08.27、東京夕刊)。

 2007年11月16日午前3時ごろ、山下茜(あかね)ちゃん(当時5歳)と山下彩菜(あやな)ちゃん(当時3歳)が、亡くなりました。
 

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10月に奪われた光

 埼玉県飯能市に住んでいた吉沢正美ちゃん(当時7歳)が、1988年10月3日午後3時ごろ下校途中に誘拐され、午後5時ごろ西多摩郡五日市町戸倉の山林内で首を絞められ、窒息死しました。

 小林美幸子(みさこ)ちゃん(当時8歳)が、1989年10月11日夕方、買い物途中で犯人に身代金目的で誘拐され、殺害されました。

 2000年10月16日、梅村拓哉ちゃん(当時10歳)が亡くなりました。

 2000年10月21日、南雲竜季ちゃん(当時8ヶ月)が亡くなりました。

 2000年10月26日、山上知紘ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 川原和未子(なみこ)ちゃん(当時7歳)が、2001年10月12日に、下校途中に、犯人の車に連れ込まれ、山林で遺体になって発見されました。

 2003年10月、高旗龍翔(りゅうしょう)ちゃん(当時1歳7ヶ月)が亡くなりました。

 2003年10月19日、森島勇樹ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。

 2003年10月19日、長屋龍空(りく)ちゃん(当時生後4ヶ月)が亡くなりました。

 2004年10月7日、植田有輝(ゆうき)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2004年10月17日、池味伸龍(しんたつ)ちゃん(当時10ヶ月)が亡くなりました。

 2004年10月18日、後藤未来ちゃん(当時1歳9ヶ月)が亡くなりました。

 田北真琳(まりん)ちゃん(当時4歳)が、自宅2階で、母親にストーカー行為を繰り返していた犯人に胸など数カ所を刺され、2005年10月19日午後1時20分頃に亡くなりました。

 鵜瀬柚希(うのせゆずき)ちゃん(当時7歳)が、2007年10月16日午後6時ごろ、自宅前で胸と腹を刃物で刺され、午後7時46分ごろ亡くなりました。

 2006年10月21日、佐々木拓夢(たくむ)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2006年10月23日、進藤諒介(りょうすけ)ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。

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9月に奪われた光

 荻原功明(よしあき)ちゃん(当時5歳)が、1987年9月14日に、高崎市筑縄町の「地神社」付近で誘拐され、9月16日高崎市鼻高町少林山近くの寺沢川にかかる入の谷津橋下で、遺体で発見されました。

 大沢朋子ちゃん(当時8歳)が、1987年9月15日午前11時ごろ、自宅近くの尾島公園に遊びに出掛けた後、行方不明になり、翌年11月27日、自宅から約2キロ離れた尾島町前小屋の利根川左岸の河川敷で、白骨体となって発見されました。

 森山千郷ちゃん(当時4歳)が、1991年9月11日に行方不明となり、4日後に淀川右岸で水死体となって発見されました。

 1999年9月26日、瀬川慶樹(よしき)ちゃん(当時6歳)が亡くなりました。

 山本隼人ちゃん(当時3歳)が、鳥取県国府町の自宅で、2000年9月16日に、同居男性から約1時間にわたり暴行受けて、2000年9月26日に、くも膜下出血で亡くなりました。

 中田志歩ちゃん(当時9歳)が、自宅に侵入して立てこもっていた犯人に、2002年9月15日午後11時15分ごろ、眠っているところに、腹部を刺されて失血死しました。
 柔道で金メダリストになりたいという志歩ちゃんの夢は奪われてしまいました。

 筒塩侑子(つつしおゆきこ)ちゃん(当時9歳)が、2004年9月3日午後3時35分頃、自宅で何者かに胸や腹等を刺されて殺害されました。

 2004年9月9日午前4時ごろ、母親とともに、長男加藤佑基(ゆうき)さん(当時15歳)、長女加藤里奈(りな)さん(当時13歳)、次男加藤正悟(しょうご)ちゃん(当時9歳)が、豊明市沓掛町の自宅で殺害されました。

 2004年9月10日、狩野梨那(りな)ちゃん(当時2歳)が、無理心中しようとした母親に首を絞められ、亡くなりました。

 2004年9月11日、小林一斗(かずと)ちゃん(当時4歳)と小林隼人(はやと)ちゃん(当時3歳)が、誘拐された後、生きたまま川へ投げ捨てられて、殺害されました。

 2004年9月21日、奥田征也ちゃん(当時3歳)が、大分市内のアパートで、母親と同居男性から暴行を受け意識不明の重体となり、9月24日に亡くなりました。

 2005年9月23日、井上美莉愛(みりあ)ちゃん(当時2ヶ月)が亡くなりました。

 中島唯ちゃん(当時4歳)が、2005年8月下旬から9月17日までほぼ連日、同居男性から暴行を受け、2005年9月29日に、脳ヘルニアで亡くなりました。
 9月16日に、後頭部を壁に打ち付けられ、腰を蹴られ、その後、押入れに入れられたまま、翌日、ほんの少しのパンと水だけで、家に残されました。17日に、再び、あざだらけの顔を繰り返し殴られて、正座させられました。既に、くも膜下出血で意識が遠のいていた唯ちゃんは、押し入れと壁をたたいたそうです。
 モデルになるのが、唯ちゃんの夢だったそうです(読売新聞、2006.04.15、大阪朝刊)。

 2006年9月8日ごろ、今野陽菜(ひな)ちゃん(当時3歳)が、同21日ごろ、今野星菜(せいな)ちゃん(当時4歳)が、日常的な暴力の末、亡くなりました。
 公判で祖母は、「(損傷のひどかった)陽菜の棺(ひつぎ)は閉じたままでした。星菜の棺は、顔の部分が開いていて、左まゆの上に大きなこぶがありました。目はしっかり閉じられず、まつ毛はぼろぼろでした」(読売新聞、2007.09.04、東京朝刊)と話しています。
 また、母親と同居男性は、20日に暴行を受け意識不明となっていた星菜ちゃんを放置して、飼い犬を動物病院に連れていたそうです。

 2006年9月13日、三沢智希ちゃん(当時4歳)が、栄養不足によって衰弱死しました。

 2006年9月25日、正木優仁(ゆうと)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2006年9月26日、横山剛ちゃん(当時8歳)が亡くなりました。

 2007年9月1日、川田一咲(いっさ)ちゃん(当時2ヶ月)が亡くなりました。

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8月に奪われた光

 1988年8月22日、今野真理ちゃん(当時4歳)が、誘拐され、西多摩郡五日市町戸倉の山林内で首を絞められて殺害されました。
 真理ちゃんは、おすしが好物だったそうです。

 1997年8月6日、古川麻衣(まい)ちゃん(当時8歳)が、犯人宅の風呂に沈められて殺害され、那珂川町の九千部(くせんぶ)山中腹のヒノキ林に遺棄されました。
 麻衣ちゃんは、水泳が得意で、将来の夢はピアノの先生になることでした。

 2000年8月6日、太田優ちゃん(当時3歳)が、適切な食事や医療措置を受けられずに放置され、栄養失調による諸臓器不全で亡くなりました。死亡時には、「背中にたくさんのあかがこびりつき、布団の中に虫がわいているなど衛生状態が悪く、身長や体重が生後9~10カ月に相当するほど小さかった。」(毎日新聞、2002.02.14 地方版/山形)そうです。

 2000年8月17日、木村彩香ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。
 同居男性から、約4時間にわたって、部屋の壁にたたきつけられるなどの暴行を受け、おふろ場に放置されて、彩香ちゃんは、くも膜下出血で亡くなりました。

 2000年8月27日、長村美織ちゃん(当時2歳)が、同居していた17歳の少年からの暴行により、外傷性脳くも膜下出血で亡くなりました。

 2001年8月7日、勢田恭一(きょういち)ちゃん(当時6歳)が亡くなりました。

 2002年8月12日、大迫雄起ちゃん(当時12歳)が亡くなりました。

 2002年8月27日、遠島里紗ちゃん(当時5歳)が、預けられていた犯人宅で、頭をベランダのコンクリート壁や床に打ち付けられるなどし、外傷性くも膜下出血で亡くなりました。
 里紗ちゃんは、英語教室に通っていて、自分の気持ちをきちんと表現できる子だったそうです(読売新聞、2002.08.29 大阪朝刊)。

 2003年8月5日、嶋村元気(もとき)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2004年8月12日、金田宏暉(ひろき)ちゃん(当時2歳4ヶ月)が亡くなりました。

 2004年8月18日、植村伊織(いおり)ちゃん(当時生後34日)が亡くなりました。

 2004年8月21日、若松明日香(あすか)ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

 2005年8月5日、千葉県銚子市で、高橋昌悟ちゃん(当時6歳)が、無理心中の犠牲となって、亡くなりました。

 2005年8月17日、飯田市で、代田奏穂(かなほ)ちゃん(当時1歳11ヶ月)が、実母から顔面などを殴打されるなどの暴行を受けて、外傷性くも膜下出血で亡くなりました。

 2005年8月23日、竹内裕人(ゆうと)ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

 2006年8月6日、樋口稀夕(きせき)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2006年8月22日、愛沢かすみちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2006年8月27日、荒木隼人ちゃん(当時10ヶ月)が亡くなりました。

 2006年8月28日、佐々木崇(たかし)ちゃん(当時4歳)と佐々木麻衣ちゃん(当時4ヶ月)が亡くなりました。

 2007年8月11日、松崎祐介ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 

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7月に奪われた光

 岡田瑠美(るみ)ちゃん(当時7歳)が、1991年7月2日に自宅付近から行方不明となり、翌日、鳴尾浜の沖合で絞殺体で発見されました。
 同日午後7時に自宅にいるのが確認されている。
 午後7時30分ごろ県営住宅の植え込みで倒れている女児が目撃(瑠美ちゃんかどうか不明)。
 午後7時45分ごろ、鳴尾新川にかかる三笠橋付近で、中年男性に拉致されているのが目撃。
 午後8時ごろ、額から血を流し、ぐったりした瑠美ちゃんらしい女児が身長165cmほどの人物に抱えられているのが目撃。
 しかしながら、この事件は、公訴時効となっています。

 清原聖子(しょうこ)ちゃん(当時7歳)が、1993年7月31日に、首を絞められ、長さ45センチの鉄製バールで顔などを殴ぐられ、亡くなりました。

 2000年7月19日、後藤竜二ちゃん(当時9歳)が亡くなりました。
 2000年7月16日午後9時ごろから19日午前9時ごろまでの間に、竜二ちゃんは、粘着テープで縛られた上、顔や腹などを缶や瓶などで何度も殴られ、テープで目や口、鼻をふさがれて、午後8時35分ごろ、外傷性ショックで亡くなりました。

 村瀬翔(しょう)ちゃん(当時1歳10ヶ月)が、2002年7月28日、駐車場より連れ去られて、犯人によって海に投げられて殺害されました。
 この事件は、一審で無罪判決後、二審で逆転有罪となり、上告中となっています。

 種元駿(たねもとしゅん)ちゃん(当時4歳)が、2003年7月1日午後9時15分ごろ、犯人にいたずら目的で誘拐され、駐車場の屋上(高さ約20m)から生きたまま突き落とされ、殺害されました。この事件から5年が経過しました。

 2003年7月14日、秋葉優香ちゃん(当時5歳) が亡くなりました。
 2001年8月ごろから、父親と同居女性から殴られたり、一晩中ベランダに放置されたりなど虐待を受け、2003年7月11日に、頭を殴られたり、壁にぶつけられたりしたことで、頭部打撲による脳障害で亡くなりました。

 2004年7月28日、浜田恵一(けいいち)ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。

 2005年7月7日、福田健吾ちゃん(当時2歳5ヶ月)が亡くなりました。

 2006年7月5日、長阪優奈ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2006年7月15日、畠中優花(ゆうか)ちゃん(当時8歳)が亡くなりました。

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6月に奪われた光

 野本綾子ちゃん(当時5歳)が、1989年6月6日午後6時ごろ誘拐され、車内で首を絞められ、窒息死しました。6月8日に、遺体は切断され、胴体部分は宮沢湖霊園に、頭部、両手首、両足首は御嶽山の杉林に遺棄されました。

 1998年6月7日ごろ、緒方彩ちゃん(当時10歳)が、殺害されました。彩ちゃんは、北九州連続監禁殺人事件の犠牲者の一人です。その20日ほど前に弟の優貴ちゃんも殺害されました。

 2000年6月27日、トクナガマユミちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2000年6月27日、相沢みず希ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。
 2000年6月27日午後10時ごろ、自宅内で熱を出すほど顔面などを手や空き缶で殴られ、29日午前7時半ごろ、抱き上げられて畳に落とされるなどの暴行を加えられたことによる、くも膜下出血で亡くなりました。

 2001年3月以降、鈴木紗魅亜(さみあ)ちゃん(当時5歳)は、食事を与えられなかったり、ベルトやスリッパでたたかれるなどの虐待を繰り返されて、2001年6月1日ごろ衰弱死しました。その後、遺体は、自宅裏や登米町、志津川町などに転々と移され、2002年3月中旬に迫町の町営佐沼墓地の地中に埋められました。

 2001年6月3日深夜、宮崎早紀ちゃん(当時8歳)が、自宅から約600m離れた神戸電鉄唐櫃台駅で目撃された後、自宅から北約3kmの有野川河川敷で遺体で発見されました。死因は脳挫傷で、車高の高い車でひかれた後、橋の上から河川敷に投げ込まれた可能性が高いそうです。この事件では、未だに犯人は逮捕されていません。

 2001年6月8日午前10時10分ごろ、猪阪真宥子ちゃん、木曽友香ちゃん、酒井麻希ちゃん、塚本花菜ちゃん、本郷優希ちゃん、森脇綾乃ちゃん、山下玲奈ちゃん、戸塚健大ちゃんが、小学校に乱入してきた男に殺害されました。

 2003年6月6日、岡田綺(あや)ちゃん(当時生後25日)が亡くなりました。

 2003年6月14日、畑埜綾香ちゃん(当時1歳3ヶ月)が亡くなりました。

 2003年6月17日、加藤翔ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。

 2003年6月20日未明にかけて、松本海(かい)ちゃん(当時11歳)、松本ひなちゃん(当時8歳)ら一家4人が、強盗目的で侵入した犯人によって、自宅で殺害され、博多湾に遺棄されました。

 2003年6月28日、杉尾優斗ちゃん(当時6歳)と杉尾駿斗ちゃん(当時4歳)がなくなりました。

 2004年6月1日午後零時20分ごろ、御手洗怜美(みたらいさとみ)ちゃん(当時12歳)が、首等をカッターナイフで切られ殺害されました。

 2004年6月21日、丹野有己(ゆうき)ちゃん(当時3ヶ月)が、同年7月27日、丹野洸希(こうき)ちゃん(当時1歳)が、亡くなりました。仙台地裁の判決はこちら

 2004年6月24日、松下芽依(めい)ちゃん(当時生後2ヶ月)が亡くなりました。

 2005年6月21日、佐伯友恵ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2005年6月24日、金城ゆいなちゃん(当時1歳6ヶ月)が亡くなりました。

 2006年6月1日、青野祐良(ゆら)ちゃん(当時1歳7ヶ月)が亡くなりました。

 2006年6月20日午前5時15分ごろ、自宅が放火され、吉川祥貴(よしき)ちゃん(当時7歳)と吉川優民(ゆうみん)ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。

  2007年6月11日、清水成智ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。

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5月に奪われた光

 本間裕士ちゃん(当時6歳)が、1986年5月9日午後3時ごろ、身代金目的で誘拐され、富岡八幡宮で、頭を石で殴られ、首を紐で絞めて殺害されました。

 山川典子ちゃん(当時6歳)が、1991年5月6日に、自宅付近で交通事故に巻き込まれ死亡し、守口市のマンションの貯水槽下で遺体となって発見されました。

 1997年5月24日午後、土師淳ちゃん(当時11歳)が、竜の山のアンテナ基地局で首を絞められ亡くなりました。その後、首を切断し、中学校の校門前に遺棄されました。

 1998年5月30日、中林貴義(なかばやしたかのり)ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。

 2003年5月2日、岸遼ちゃん(当時8ヶ月)が亡くなりました。

 2004年5月6日、坂井憂(ゆい)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2004年5月15日、三和美羽(みう)ちゃん(当時生後48日)が亡くなりました。

 2004年5月31日、石櫃海斗(いしびつかいと)ちゃん(当時生後10ヶ月)が亡くなりました。

 2005年5月12日、関口達也ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2005年5月19日、嶺元一行(みねもとかずゆき)ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。

 2005年5月26日、黒肥地晴空(くろひじそら)ちゃん(当時1歳11ヶ月)が亡くなりました。
 2006年5月6日、西村奈央未(なおみ)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2006年5月8日、重松夏蓮(かれん)ちゃん(当時9ヶ月)が亡くなりました。

 2006年5月15日、塩田彩華ちゃんちゃん(当時8ヶ月)が亡くなりました。

 2006年5月15日、脇勇稀ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2006年5月17日午後3時30分ごろ、秋田県藤里町の自宅付近で、米山豪憲(ごうけん)ちゃん(当時7歳)が、犯人宅に連れ込まれて絞殺され、翌18日に米代川河川敷に遺棄されてました。

 2006年5月17日、北杉賢治ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。

 2006年5月28日、白髭広(しらひげひろむ)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

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4月に奪われた光

 小倉優華(ゆか)ちゃん(当時5歳)が、1992年4月28日夕方に、大阪府吹田市の自宅付近から行方不明となり、翌朝に、豊中市内の教会駐車場で遺体となって発見されました。
 この事件は、ひき逃げとしての時効が成立し、2007年4月に殺人事件の時効も成立しました。

 福地海(うみ)ちゃん(当時7歳)が、1994年4月7日午後3時ごろ、下校途中に犯人に近くの境内で首を絞められ殺害されました。

 上館佳奈(かみだてかな)ちゃん(当時7歳)が、1998年4月7日午後0時20分ごろ、いたずら目的で犯人宅に連れ込まれ、ビニール紐で首を絞められて殺害されました。その後、近くの山林に遺棄されました。

 1999年4月14日午後2時半ごろ、本村夕夏ちゃん(当時11ヶ月)が、自宅に侵入した犯人によって、母親とともに首を絞められ、殺害されました。

 2002年4月14日、森瞳真(とうま)ちゃん(当時1歳)が、自宅マンションで、母親とともに殺害されました。

 2004年4月21日、鬼頭真由ちゃん(当時4歳)が、25日、鬼頭大輝ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

 2005年4月5日、田村二花(ふたば)ちゃん(当時7歳)が亡くなりました。

 2005年4月9日、秋元双葉(ふたば)ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

 2006年4月9日、畠山彩香(あやか)ちゃん(当時9歳)が亡くなりました。

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3月に奪われた光

 山下彩花(あやか)ちゃん(当時10歳)が、1997年3月16日午後12時25分ごろ、神戸市須磨区竜が台で、頭をハンマーで殴られ、1週間後の3月23日に脳挫傷のために亡くなりました。

 2000年3月3日、増山慎二ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。

 2001年3月21日、畑埜翔ちゃん(当時3ヶ月)が亡くなりました。

 浜名愛ちゃん(当時7歳)が、2004年3月11日午後2時40分ごろに、群馬県高崎市の自宅近くで犯人宅に連れ込まれ、悲鳴を挙げたところ、犯人に首を手で絞められ、身動きできなくなったところを、更に、タオルで首を絞められて殺害されました。

 2004年3月、萬田尚博(たかひろ)ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

 2005年3月15日、神内陸(じんないりく)ちゃん(当時1ヶ月)が亡くなりました。

 2005年3月29日、石見真歩ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2006年3月10日、吉田柊馬(しゅうま)ちゃん(当時4歳)と吉田朱妃(じゅり)ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

 山川雄樹ちゃん(当時9歳)が、2006年3月20日午後零時45分ごろ、帰宅途中に、自宅のあるマンションの15階から犯人に投げ落とされて、心臓破裂によって亡くなりました。
 雄樹ちゃんは、誰とでもすぐにうち解ける活発な性格で、転校した日から同級生と遊べるような男の子でした。

 2007年3月29日、芦沢友晃ちゃん(2ヶ月)が亡くなりました。

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2月に奪われた光

 河西美枝ちゃん(当時2歳10ヶ月)が、1987年2月14日、犯人宅に連れ込まれた際に大声で泣いたため、粘着テープで口を塞がれた上、そのまま放置されなくなりました。翌日、岡谷市内の山林に埋められました。

 蓮尾岳史(たけし)ちゃん(当時7歳)が、1990年2月2日、下校途中、当時17歳の犯人に、大野城市の農業用ため池「新池」まで連れていかれ、6時20分ごろ、草むらで首を手で絞められて窒息死しました。

 中川藍ちゃん(当時7歳)と梅野裕莉ちゃん(当時7歳)が、1992年2月20日に、登校中に誘拐され殺害され、甘木市の山中で絞殺体で見つかりました。

 2001年2月26日、山本翔(かける)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。
 家族の愛情を求め、注意を引こうとしていた翔ちゃんは、2001年年2月20日に午後4時15分ごろ、妹にいたずらしたことから、継母に平手で叩かれて転倒した翔ちゃんは、石油ストーブに激突し、その2時間後、義理の祖父に数回殴られ、その結果、6日後に脳障害で息を引き取りました。
 日常の継母ら家族4人による虐待は、「翔君の足が宙に浮いたり、腰砕けになって、その場に倒れ込んだりするほど激しく、その際、翔君は手足や上半身をけいれんさせていた」(読売新聞、東京朝刊、2001年11月21日)程だったそうです。

 藤嶋飛士己ちゃん(当時1歳2ヶ月)、2002年2月19日に、香川県香川町の無認可保育園「小鳩幼児園」で、園長の虐待によって、殺害されました。
 事件の経緯は、共同通信(2002年7月19日)によれば、以下のとおりです。
 午前9時ごろ 約一メートルの高さから飛士己ちゃんを布団の上に投げ落とし、泣きだした飛士己ちゃんに「うるさい」と怒鳴り、頭を平手で二回、げんこつで三回殴打する。
 午前10時ごろ 飛士己ちゃんの顔が白っぽく、手足が冷たくなっていることに気付いたが「救急車を呼ぶと暴行がばれる。死ぬかもしれないが、飛士己ちゃんには私の犠牲になってもらおう」などと考える。
 午前11時ごろ 飛士己ちゃんは座いすの背もたれにもたれたまま、力が入らなくなる。谷被告は衰弱するさまを凝視し続ける。
 午前11時15分ごろ ぐったりしてほ乳瓶を持つことさえできない飛士己ちゃんを見て「死ぬ。事故死を装うしかない」と思う。
 午前11時45分ごろ 飛士己ちゃんは今にも消えそうな弱々しい声で「アー、アー」と泣く。谷被告は他の園児から飛士己ちゃんの表情が見えないように、布団の向きを変える。
 正午ごろ うつぶせに寝かされたまま、飛士己ちゃんが亡くなる。谷被告は泣き声が聞こえなくなったことから、死亡を知る。
 高松地裁「傷害,殺人被告」(平成14(わ)150)

 2004年2月23日、鳥見颯姫(さつき)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2005年2月1日、谷本琉美(るみ)ちゃん(当時2ヶ月)が亡くなりました。

 2005年2月4日、青山翔馬ちゃん(当時11ヶ月)が殺害されました。
 この事件は、2005年2月4日午前10時40分ごろ、愛知県安城市のスーパーで、ベビーカーに乗っていた翔馬ちゃんは、犯人にナイフで頭を刺され、亡くなりました。
 10日には、1歳の誕生日迎えるはずでした。

 2005年2月7日午後8時から8時30分ごろ、兵庫県尼崎市で、大亀一樹(当時5歳)が、首を電気コードで絞められて、亡くなりました。

 2005年2月8日午後6時40分ごろ、千葉県市原市で、酒井弘之(ひろゆき)ちゃん(当時7ヶ月)が、暴行を受けて頭がい骨骨折などで亡くなりました。突発的に起きた事件でした。

 2005年2月11日、茨城県常陸大宮市で、佐藤大輝(だいき)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2005年2月27日、岐阜県中津川市で、藤井孝平(こうへい)ちゃん(当時2歳)と彩菜(あやな)ちゃん(当時生後21日)が亡くなりました。
 この事件は一家6人殺傷事件として、二人の祖父が逮捕起訴され、現在、公判中となっています。

 2006年2月7日、群馬県渋川市で、島内碧(へき)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。児童施設に預けられていた碧ちゃんを、両親が引き取った矢先の事件でした。「素直で純真な子」だったそうです(朝日新聞、東京地方版/群馬、2006年6月23日)。

 2006年2月7日、高松市で、山下歩夢(あゆむ)ちゃん(当時3歳)が栄養失調のため、亡くなりました。

 2006年2月10日、金光奎亮(けいすけ)ちゃん(当時3歳)と金光里紗ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

 2006年2月17日に、グループ通園中に、武友若奈ちゃん(当時5歳)と佐野迅ちゃん(当時5歳)が、胸や背中などを約20箇所を刺され、若奈ちゃんは同日午前9時45分ごろ、迅ちゃんは正午ごろ息を引き取りました。

 2006年2月24日、宇都宮市で、古川頌(しょう)ちゃん(当時3歳)が窒息死しました。

 2006年2月25日、長野県飯綱町で、佐藤光明ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 今後このような事件が起きないように。

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1月に奪われた光

 辻角公美子ちゃん(当時9歳)が、1987年1月22日に、自宅付近から行方不明となり、1988年5月4日に、豊能町の山中で白骨化した姿で発見されました。犯人は、1月22日、いたずら目的で、そろばん塾からの帰宅途中の公美子ちゃんに声をかえて、自宅アパートに連れ込み騒がれたため絞殺し、身代金を要求しました。

 1996年1月4日、藤原(名護)愛美ちゃん(当時1歳8ヶ月)が亡くなりました。大阪市大正区の自宅で1995年10月末ごろから食事を与えてもらえずに餓死しました。

 1998年1月8日、幼稚園の送迎バスを待っていた大国加奈ちゃん(当時5歳)が、19歳の少年に背中を刺されて殺害されました。

 1998年1月30日、石原克則ちゃん(当時12歳)が、小学校から帰宅途中の路上で犯人に、マフラーで首を絞められそうになって、逃げたところを包丁で首を刺されて殺害されました。

 2000年1月26日、山本涼司ちゃん(当時6歳)がなくなりました。

 中村彩華(あやか)ちゃん(当時8歳)とありすちゃん(当時6歳)が、2001年1月17日、祖母とともに放火の犠牲となって、亡くなりました。仲のよい姉妹だったそうです。この事件では、父親が逮捕起訴されましたが、広島地裁で、クロとはいえないとして、無罪になっています。

 2003年1月25日、鳴海香織ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。2002年12月初旬から2003年1月14日ごろまで、金属バットで頭や腹等を殴られ、低酸素性脳症で亡くなりました。

 2004年1月5日、岩村純那(じゅんな)ちゃん(当時6歳)が亡くなりました

 2004年1月20日、高橋桃々(るる)ちゃん(当時4ヶ月)が亡くなりました。

 2005年1月1日、前川航希(こうき)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2005年1月15日、高橋勇成ちゃん(当時11ヶ月)が亡くなりました。

 2005年1月22日、花弥樹莉(じゅり)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2005年1月28日、堀内香澄ちゃん(当時7ヶ月)が亡くなりました。

 2005年1月30日、畠山琉星(りゅうせい)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2006年1月3日、三田まりあちゃん(当時4歳)が亡くなりました。

 2006年1月22日、木村月(るな)ちゃん(当時6歳)が亡くなりました。

 2006年1月22日、村上唯(ゆい)ちゃん(当時9歳)と蓮(れん)ちゃん(当時6歳)が、山口県下関市で、無理心中の犠牲となり、亡くなりました。

 2006年1月22日、小池萌咲(もえ)ちゃん(当時9歳)と小池壱星(いっせい)ちゃん(当時7歳)が、無理心中の犠牲となり、亡くなりました。
 「萌咲さんは水泳を習っていたといい、活発で弟の面倒をみる優しい性格だった。壱星君はサッカーが好きで、サッカークラブに所属。周囲には「プロのサッカー選手になりたい」と話し、一生懸命練習に励んでいたという。」(毎日新聞、2006.01.23、中部朝刊)

 2007年1月1日午後3時、宮城県名取市で、寝ていた工藤敬花(きょうか)ちゃん(当時生後3ヶ月)が、母親とともに無理心中に見せかけるために、窒息死させられました。

 2007年1月3日、久保大心(だいしん)ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

 2007年1月7日、伊藤彩花(あいか)ちゃん(1歳6ヶ月)が亡くなりました。

 2007年1月21日、大竹美咲ちゃん(2歳)が亡くなりました。


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12月に奪われた光

 前田和哉ちゃん(当時3歳)が、1975年12月15日午後に、自宅前で遊んでいるうちに行方不明となり、1978年8月2日、自宅から約30メートル離れた路地で衣装かんの中で白骨化した姿で発見されました。この事件で、犯人が逮捕されずに、法律的に時効となってしまいました。

 難波絵梨香ちゃん(当時4歳)が、1988年12月9日午後4時30分ごろ誘拐され、午後7時ごろ車内で首を絞められ、窒息死しました。

 智片直子ちゃん(当時11歳)が、1990年10月14日午後5時20分ごろ、自宅で犯人に首を絞められ、浴槽に浮いているのが発見され、その後、奇跡的に心臓が動き出したものの、瞳孔が開き、自発呼吸ができない状態が続いていました。そして、1990年12月9日午後1時15分に、家族や友人の願いも届かず、息を引き取りました。2005年12月9日に時効となってしまいました。

 中村俊希ちゃん(当時7歳)が、1999年12月21日午後2時ごろ、校庭で友達と五人で鬼ごっこをして遊んでいるところ、若い犯人に長さ30cmの文化包丁で首などを切られ、出血多量のため亡くなりました。

 2000年12月1日、合木龍太ちゃん(当時5ヶ月)が亡くなりました。

 2000年12月10日、谷川依織ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2000年12月30日深夜から31日早朝にかけて、宮沢にいなちゃん(当時8歳)、宮沢礼ちゃん(当時6歳)を含む一家4人が殺害されました。にいなちゃんは、将来、バレリーナになりたかったそうです。また、礼ちゃんは、小学校入学を楽しみにしていたそうです。
 大晦日のたびに、この事件を思い出します。いまだに、犯人は捕まらずに、真相は明らかになっていません。なぜ、幸せな家族が殺害されなければならなかったのか。

 2001年12月2日、形井久之(ひさし)ちゃん(当時2歳5ヶ月)が亡くなりました。

 2001年12月8日、黒川留圭(るか)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2002年12月17日、井本愛里(あいり)ちゃん(当時6歳)が亡くなりました。

 2003年12月12日、岡本彩華(あやか)ちゃん(当時生後4ヶ月)が亡くなりました。

 2004年12月5日、岩崎花菜(かな)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2004年12月13日、大孝ありすちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2004年12月20日、川北依楼(えみる)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2004年12月27日、堀内美久(みく)ちゃん(当時9歳)と堀内賢夢(けんむ)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2004年12月28日、山下結友也ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2005年12月2日、吉田有希ちゃん(当時7歳)が、下校途中に誘拐された後、刃物で胸を数箇所刺されて殺害されました。遺体は、常陸大宮市の山中に遺棄されていました。

 2005年12月10日に、堀本紗也乃(さやの)ちゃん(当時12歳)が、学習塾の教室内で、塾講師に首を刺されて殺害されました。

 2005年12月7日、吉村龍也ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。

 2005年12月21日、生田圭佑ちゃん(当時8歳)と悠美ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。

 2006年12月6日、江木友貴ちゃん(生後23日)が亡くなりました。

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11月に奪われた光

 1999年11月22日に、若山春奈ちゃん(当時2歳)が殺害されました。

 2000年11月2日、酒井千月(ちづき)ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。

 2000年11月3日、徳永将幸ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。母親の交際相手の男性に顔などを数回叩かれて、急性硬膜下血腫(けつしゆ)などで亡くなりました。

 2003年11月2日、安岐海帆(みほ)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。
 生後まもなく児童福祉施設に預けられていた海帆ちゃん。人見知りで、お茶目な子だったそうです。やっと両親のもとで仲良く暮らせると、施設職員は喜んでいたのに。

 2003年11月15日、小西加織ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。
 加織ちゃんは、祖母に、顔を平手打ちされたり、腹けられて後頭部を柱にぶつけたりし、硬膜下出血で短い生涯を閉じました。

 2003年11月17日、安部憂那ちゃん(当時5ヶ月)が亡くなりました。

 2003年11月27日、浅川美夢(みみ)ちゃん(当時4ヶ月)が亡くなりました。

 2004年11月8日、井口桃華ちゃん(当時6ヶ月)が亡くなりました。

 2004年11月16日、星野渚ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

 2004年11月17日に、有山楓ちゃん(当時7歳)が殺害されました。
 楓ちゃんは、「看護師になるのが夢で、家族のだんらんの中心だった」(産経新聞、2005.04.19、大阪朝刊)そうです。

 2005年11月22日、木下あいりちゃん(当時7歳)が、下校途中に首を絞められ殺害され、段ボール箱に入れられて遺棄されました。
 ケーキ屋さんになりたかったというあいりちゃんの夢は奪われてしまいました。

 2006年11月6日、泉侑樹ちゃん(当時5歳)と朋樹ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2006年11月24日、高橋尚也ちゃん(当時7歳)と信也ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。

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山下茜ちゃん、彩菜ちゃん殺害事件

 香川県坂出市で、11月16日に、山下茜(あかね)ちゃん(5歳)と彩菜(あやな)ちゃん(3歳)が、祖母とともに行方不明になっていた事件で、今日、坂出港から遺体となって発見されました。
 多くの人が無事を祈っていたこの事件で、最悪の結果となってしまいました。たまたま、犯行日時に居合わせただけで、二人の幼い命が奪われてしまいました。

 二人のご冥福をお祈りします。

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11月22日

 1999年11月22日、若山春奈ちゃんが殺害されました。この事件からもう8年がたちます。春菜ちゃんは当時2歳。
 また、2004年11月22日には、木下あいりちゃん(当時7歳)が殺害されました。この事件は、犯人は逮捕されましたが、現在、一審の無期懲役として、双方が控訴して審理しています。

 

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10月に奪われた光

 埼玉県飯能市に住んでいた吉沢正美ちゃん(当時7歳)が、1988年10月3日午後3時ごろ下校途中に誘拐され、午後5時ごろ西多摩郡五日市町戸倉の山林内で首を絞められ、窒息死しました。

 小林美幸子(みさこ)ちゃん(当時8歳)が、1989年10月11日夕方、買い物途中で犯人に身代金目的で誘拐され、殺害されました。

 2000年10月16日、梅村拓哉ちゃん(当時10歳)が亡くなりました。
 拓哉ちゃんは、手足をビニールひもや粘着テープで縛られベランダの雨どいに縛り付けられて、約3日間、ほとんど飲食物を与えられることなく放置され、敗血症によって亡くなりました。
 拓哉ちゃんは、行為障害と診断され、それに悩んだ母親の犯行でした。

 2000年10月21日、南雲竜季ちゃん(当時8ヶ月)が亡くなりました。

 川原和未子(なみこ)ちゃん(当時7歳)が、2001年10月12日に、下校途中に、犯人の車に連れ込まれ、山林で遺体になって発見されました。
 2006年10月13日の毎日新聞()に、和未子ちゃんのお父さんのコメントがありました。「和未子は朝、目が覚めて夜寝るまで、ずーっとここ(目の前)にいる。そのことしか考えていない。今もずっと枕を並べて寝ている。いつ会えるかなと思って」と。
 やさしくて、明るい和未子ちゃんの夢は、看護婦さんだったそうです。しかし、卑劣な犯人によって、その夢は奪われました。

 2003年10月、高旗龍翔(りゅうしょう)ちゃん(当時1歳7ヶ月)が、約1週間離乳食を与えられずに亡くなりました。

 2003年10月19日、森島勇樹ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。

 2003年10月19日、長屋龍空(りく)ちゃん(当時生後4ヶ月)が亡くなりました。
 父親によって頭を床に叩きつけられたことによる硬膜下血腫を伴う脳圧迫で亡くなりました。

 2004年10月7日、植田有輝(ゆうき)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました

 2004年10月17日、池味伸龍(しんたつ)ちゃん(当時10ヶ月)が亡くなりました。

 2004年10月18日、後藤未来ちゃん(当時1歳9ヶ月)が亡くなりました。

 2005年10月19日、午前11時50分頃、田北真琳(まりん)ちゃん(当時4歳)が、自宅2階で、母親にストーカー行為を繰り返していた犯人に胸など数カ所を刺され、同午後1時20分頃に亡くなりました。
 真琳ちゃんは、ぽっちゃりしたかわいらしい子で、はきはきと挨拶ができる子だったそうです(毎日新聞、2005年10月20日、地方版/大分)。

 2006年10月21日、佐々木拓夢(たくむ)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2006年10月23日、進藤諒介(りょうすけ)ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。

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9月に奪われた光

  荻原功明(よしあき)ちゃん(当時5歳)が、1987年9月14日に、高崎市筑縄町の「地神社」付近で誘拐され、昭和62年9月16日高崎市鼻高町少林山近くの寺沢川にかかる入の谷津橋下で、遺体で発見されました。この事件で、犯人は逮捕されずに、法律的に時効となってしまいました。

 森山千郷ちゃん(当時4歳)が、1991年9月11日に行方不明となり、4日後に淀川右岸で水死体となって発見されました。生きていれば、千郷ちゃんは20歳。しかし、お母さんの夢には、4歳の千郷ちゃんしか出てこない(読売新聞大阪夕刊、2006年9月9日)。
 この事件も時効が成立しており、真相は不明ですが、警察によると、千郷ちゃんは、橋の上から生きたまま川に投げ込まれた可能性が高いとされています。

 1999年9月26日、瀬川慶樹(よしき)ちゃん(当時6歳)が、同年10月、祥子(しょうこ)ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。慶樹ちゃんはおとなしく甘えん坊、祥子ちゃんはおしゃべり好きで活発な子。そして、仲がよかった兄妹は、激しい虐待の末、命を落としました。

 中田志歩ちゃん(当時9歳)が、自宅に侵入して立てこもっていた犯人に、2002年9月15日午後11時15分ごろ、眠っているところに、腹部を刺されて失血死しました。柔道で金メダルを取るとがんばっていた未来が奪われたのです。

 筒塩侑子(つつしおゆきこ)ちゃん(当時9歳)が、2004年9月3日午後3時35分頃、岡山県津山市の自宅で何者かに胸や腹等を刺されて殺害されました。この事件も、犯人逮捕には至っていません。
 2007年9月2日読売新聞大阪朝刊によれば、侑子ちゃんの部屋は当時のままで、お父さんは「死んだことは信じられなかった。今でも受け入れられない」とコメントしています。

  2004年9月9日午前4時ごろ、母親とともに、長男加藤佑基(ゆうき)さん(当時15歳)、長女加藤里奈(りな)さん(当時13歳)、次男加藤正悟(しょうご)ちゃん(当時9歳)が、豊明市沓掛町の自宅で殺害されました。正悟さんと佑基ちゃんはバールのようなもので殴られたことにより、また、母親と里奈さんはサバイバルナイフなどのような大型ナイフで顔や背中の十数カ所を刺されたことにより、亡くなりました。その後、犯人は、自宅に灯油をまいて放火しました。この事件も、犯人が逮捕されていないため、なぜ、4人の尊い命が奪われたのか分かっていません。

 2004年9月10日、狩野梨那(りな)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました

 2004年9月11日、小林一斗(かずと)ちゃん(当時4歳)と小林隼人(はやと)ちゃん(当時3歳)が、誘拐された後、生きたまま川へ投げ捨てられて、殺害されました。幼い兄弟が誘拐され、殺害されるという悲しい事件でした。

 2004年9月23日、奥田征也ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2005年9月23日、井上美莉愛(みりあ)ちゃん(当時2ヶ月)が亡くなりました。

 2005年9月29日、中島唯ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。

 母親の交際相手に、2006年9月7日夜、今野陽菜(ひな)ちゃん(当時3歳)が、同20日ごろ、今野星菜(せいな)ちゃん(当時4歳)が、日常的な暴力の末、亡くなりました。その後、2人はダンボールに入れられていました。

 2006年9月25日、正木優仁(ゆうと)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2006年9月26日、横山剛ちゃん(当時8歳)が亡くなりました。借金苦の父親が無理心中の犠牲になりました。剛ちゃんは母親とともに首を絞められて命を落としました。

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鵜瀬柚希ちゃん刺殺事件

 2007年10月16日午後6時5分ごろ、また、幼い命が奪われました。

 犠牲となったのは、小学2年生の鵜瀬柚希(うのせゆずき)ちゃん(当時7歳)。

 現場は兵庫県加古川市別府町新野辺の自宅玄関前。胸と腹の2か所を刺されました。家族をはじめとする多くの人たちの祈りもむなしく、午後7時46分ごろ病院で死亡が確認され、短い生涯を閉じました。左胸を刺されたことによる失血死でした。どんなに怖かったことだろう、どんなに痛かったことだろう。しかも、犯行現場は玄関の前。柚希ちゃんは、遊びから帰り、家族のもとへ後一歩というところで。柚希ちゃんの苦しみを思うと言葉がない。

 報道によれば、柚希ちゃんは、大変活発で、しかも、妹思い、友達思いというコメントがあるように、やさしい女の子だったようです。幼稚園の文集では、勉強をがんばると書いたそうです。これからも沢山の友達と楽しく、そして、いろいろと勉強していく、そんな2年生の途中で、命を落とさなければならないことに、深い悲しみを感じます。

 意識が薄れていく中、柚希ちゃんは、救急隊員の質問に答えたそうです。犯人は大人の男性であることを。なぜ、幼い子供たちの命を奪おうとするのか。どんな理由があろうと、決して許されるべきではない。犯人が逮捕されたとしても、柚希ちゃんの命は戻ることはないけれど、一刻も早く、柚希ちゃんの命を奪い、家族の人生を狂わせ、地域の子供たちの楽しい笑顔を奪った犯人が逮捕されることを祈ります。

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8月に奪われた光

 埼玉県入間市に住んでいた今野真理ちゃん(当時4歳)が、1988年8月22日午後3時ごろ誘拐され、午後6時30分ごろ西多摩郡五日市町戸倉の山林内で首を絞められ、窒息死しました。

 古川麻衣(まい)ちゃん(当時8歳)が、1997年8月6日、学校まであと100mのところで、犯人のアパートに連れ込まれ、風呂に沈められて殺害され、那珂川町の山中に遺棄されました。ピアノの先生になるのという夢も犯人によって奪われてしまいました。

 1997年8月11日、名護ありさちゃん(当時1歳3ヶ月)が亡くなりました。

 遠島里紗ちゃん(当時5歳)が、2002年8月27日、預けられていた犯人宅で、頭をベランダのコンクリート壁や床に打ち付けられるなどし、外傷性くも膜下出血で亡くなりました。

 2001年8月7日、勢田恭一(きょういち)ちゃん(当時6歳)が亡くなりました。

 2003年8月5日、嶋村元気(もとき)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2004年8月12日、金田宏暉(ひろき)ちゃん(当時2歳4ヶ月)が亡くなりました。

 2004年8月18日、植村伊織(いおり)ちゃん(当時生後34日)が亡くなりました。

 2004年8月21日、若松明日香(あすか)ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

 2005年8月5日、高橋昌悟ちゃん(当時6歳)が亡くなりました。

 2005年8月17日、代田奏穂(かなほ)ちゃん(当時1歳11ヶ月)が亡くなりました。

 2005年8月23日、竹内裕人(ゆうと)ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

 2006年8月6日、樋口稀夕(きせき)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2006年8月22日、愛沢かすみちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2006年8月27日、荒木隼人ちゃん(当時10ヶ月)が亡くなりました。

 2006年8月28日、佐々木崇(たかし)ちゃん(当時4歳)と佐々木麻衣ちゃん(当時4ヶ月)が亡くなりました。

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7月に奪われた光

 岡田瑠美(るみ)ちゃん(当時7歳)が、1991年7月2日に自宅付近から行方不明となり、翌日、鳴尾浜の沖合で絞殺体で発見されました。この事件は、昨年、公訴時効を迎えています。

 村瀬翔(しょう)ちゃん(当時1歳10ヶ月)が、2002年7月28日、駐車場より連れ去られて、犯人によって海に投げられて殺害されました。

 種元駿(たねもとしゅん)ちゃん(当時4歳)が、2003年7月1日午後9時15分ごろ、犯人にいたずら目的で誘拐され、駐車場の屋上(高さ約20m)から生きたまま突き落とされ、殺害されました。

 2003年7月14日、秋葉優香ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。

 2004年7月28日、浜田恵一(けいいち)ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。

 2005年7月7日、福田健吾ちゃん(当時2歳5ヶ月)が亡くなりました。

 2006年7月5日、長阪優奈ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2006年7月15日、畠中優花(ゆうか)ちゃん(当時8歳)が亡くなりました。

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6月に奪われた光

 野本綾子ちゃん(当時5歳)が、1989年6月6日午後6時ごろ誘拐され、車内で首を絞められ、窒息死しました。6月8日に、遺体は切断され、胴体部分は宮沢湖霊園に、頭部、両手首、両足首は御嶽山の杉林に遺棄されました。
 綾子ちゃんの誕生日は、6月21日。もうすぐ、6歳の誕生日を迎え酔うとしていた矢先のことであった。
 綾子ちゃんの名前は、「生まれた当時、ブームだったNHKの朝のドラマの「おしん」のヒロインを演じた子役の名前にあやかって名づけた。頑張り屋で人気者になるようにとの願いが込められた。」(朝日新聞 東京地方版/東京、1990年8月12日)

 1998年6月7日ごろ、緒方彩ちゃん(当時10歳)が、殺害されました。

 宮崎早紀ちゃん(当時8歳)が、自宅から約500m離れた神戸電鉄唐櫃台駅で2001年6月3日午前0時半ごろ近所の男性に目撃された後、行方不明となり、自宅から北約3km(同駅から北2.5km)の有野川河川敷で遺体となって発見されました。死因は脳挫傷で、車高の高い車(約77センチにバンパーのある車)でひかれた後、橋の上から河川敷に投げ込まれた可能性が高いといいます。
 仕事で帰りの遅い母親を迎えに午後10時ごろ家を出て、事故にあった。2004年6月7日の読売新聞大阪朝刊によれば、早紀ちゃんは、「午後八時ごろに仕事先から帰宅する母親を同駅まで迎えにいくのが好きだった。お菓子を買ってもらったり、学校の友達のことを話したりしながら帰ることを楽しみにしていたという。」。
 早紀ちゃんは、明るくて、人なつっこい性格で、礼儀正しく、また、よく行くお店の食器を片付けたり、テーブルを拭いたりするようなしっかりした女の子で、とても沢山の友達がいたそうです(産経新聞2005年6月3日大阪朝刊、読売新聞2004年6月7日大阪朝刊、毎日新聞2002年6月5日地方版/兵庫、読売新聞2001年6月8日大阪朝刊)。
 この事件は、業務上過失致死の時効は過ぎましたが、警察は殺人として犯人を捜しています。

 2001年6月1日、鈴木紗魅亜(さみあ)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2003年6月6日、岡田綺(あや)ちゃん(当時生後25日)が亡くなりました。

 2003年6月14日、畑埜綾香ちゃん(当時1歳3ヶ月)が亡くなりました。

 2003年6月17日、加藤翔ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。
 判決によると、腎臓病であった翔ちゃんに対して、実母と同居男性は、2003年5月から暴行を繰り返し、多発外傷ショックでなくなりました。

 2003年6月20日未明にかけて、松本海(かい)ちゃん(当時11歳)、松本ひなちゃん(当時8歳)ら一家4人が、強盗目的で侵入した犯人によって、自宅で殺害され、博多湾に遺棄されました。
 海君は、ソフトボールとサッカーに取組み、下級生たちのあこがれだったそうです。また、動物の好きな男の子だったそうです。
 ひなちゃんは、幼稚園の先生になりたかったそうです。「おそうじ係として、人の嫌がる仕事も喜んでやる、優しい子だった。クラスで育てているモンシロチョウの世話と観察も熱心だった」(朝日新聞2003年6月21日東京夕刊)
 そんな2人は、強盗目的の留学生によって、短い人生を終わらせました。

 2006年6月20日午前5時15分ごろ、自宅が放火され、吉川祥貴(よしき)ちゃん(当時7歳)と吉川優民(ゆうみん)ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。

 2003年6月28日、杉尾優斗ちゃん(当時6歳)と杉尾駿斗ちゃん(当時4歳)がなくなりました。

 2004年6月21日、丹野有己(ゆうき)ちゃん(当時3ヶ月)が亡くなりました。

 2004年6月24日、松下芽依(めい)ちゃん(当時生後2ヶ月)が亡くなりました。

 2005年6月21日、佐伯友恵ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2005年6月24日、金城ゆいなちゃん(当時1歳6ヶ月)が亡くなりました。

 2006年6月1日、青野祐良(ゆら)ちゃん(当時1歳7ヶ月)が亡くなりました。

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5月に奪われた光

 1986年5月9日に、小学校に入学したばかりの本間裕士ちゃん(当時6歳)が、身代金目的で誘拐され、殺害された事件です。

 山川典子ちゃん(当時6歳)が、1991年5月6日に、自宅付近で交通事故に巻き込まれ死亡し、守口市のマンションの貯水槽下で遺体となって発見されました。

 1997年5月24日午後、土師淳ちゃん(当時11歳)が、竜の山のアンテナ基地局で首を絞められ亡くなりました。その後、首を切断し、中学校の校門前に遺棄されました。

 1998年5月30日、中林貴義(たかのり)ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。

 1998年5月17日ごろ、緒方優貴ちゃん(当時5歳)が殺害されました。

 2003年5月2日、岸遼ちゃん(当時8ヶ月)が亡くなりました。

 2004年5月6日、坂井憂(ゆい)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2004年5月15日、三和美羽(みう)ちゃん(当時生後48日)が亡くなりました。

 2004年5月31日、石櫃海斗(いしびつかいと)ちゃん(当時生後10ヶ月)が亡くなりました。

 2005年5月12日、関口達也ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2005年5月19日、嶺元一行(みねもとかずゆき)ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。

 2005年5月26日、黒肥地晴空(くろひじそら)ちゃん(当時1歳11ヶ月)が亡くなりました。

 2006年5月6日、西村奈央未(なおみ)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2006年5月8日、重松夏蓮(かれん)ちゃん(当時9ヶ月)が亡くなりました。

 2006年5月15日、塩田彩華ちゃんちゃん(当時8ヶ月)が亡くなりました。

 2006年5月15日、脇勇稀ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2006年5月17日、北杉賢治ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。

 2006年5月17日午後3時30分ごろ、秋田県藤里町の自宅付近で、米山豪憲(ごうけん)ちゃん(当時7歳)が、犯人宅に連れ込まれて絞殺され、翌18日に米代川河川敷に遺棄されてました。

 2006年5月28日、白髭広(しらひげひろむ)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

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4月に奪われた光

 小倉優華(ゆか)ちゃん(当時5歳)が、1992年4月28日夕方(午後6時以降)、吹田市千里丘上の自宅近くで遊んでいて行方不明になり、翌日早朝、南西約8.5キロの豊中市穂積の教会駐車場で遺体となって発見されました。
 優華ちゃんには、頭や両足を骨折し、タイヤにひかれた跡があったため、ひき逃げされたとみられています。死亡推定時刻は、午後8時ごろで、東部に陥没骨折が2箇所あり、即死状態だったそうです。その後、犯人は、優華ちゃんを吹田市江坂町四のため池「前田池」に運び、遺体を洗ったとされています。
 この事件は、2007年4月28日に殺人事件としての公訴時効を迎えました。

 上館佳奈ちゃん(当時7歳)が、1998年4月7日午後0時20分ごろ、下校途中に、いたずら目的で犯人宅に連れ込まれ、ビニール紐で首を絞められて殺害されました。その後、近くの山林に遺棄されました。

 本村夕夏ちゃん(当時11ヶ月)が、1999年4月14日午後2時半ごろ、自宅に侵入した犯人によって、母親とともに首を絞められ、殺害されました。この事件の犯人は、当時、未成年者であり、高裁では無期懲役とされていたものの、最高裁では、差し戻しとなり、死刑判決が出される可能性があります。差し戻し審は、広島高裁で5月から行われることになっています。
 最高裁判決は、 上告審(最高裁判所「殺人,強姦致死,窃盗被告事件(平成14(あ)730)」)

 2002年4月14日、森瞳真(とうま)ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

 2004年4月21日、鬼頭真由ちゃん(当時4歳)が、25日、鬼頭大輝ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

 2005年4月5日、田村二花(ふたば)ちゃん(当時7歳)が亡くなりました。二花ちゃんは、3月30日午前2時ごろから、母親と同居中の男に顔をたたかれたり布団の上にたたきつけられたりするなどの虐待を受け、急性硬膜下血腫などで意識不明になっていましたが、4月5日に脳挫傷によって息を引き取りました。

 2005年4月9日、秋元双葉(ふたば)ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

 2006年4月9日、畠山彩香(あやか)ちゃん(当時9歳)が亡くなりました。当初、不審者の犯行とされていましたが、母親の犯行と判明。しかも、犯人は、5月17日に、米山豪憲(ごうけん)ちゃん(当時7歳)を殺害しました。

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3月に奪われた光

 1997年3月16日午後12時25分ごろ、山下彩花(あやか)ちゃん(当時10歳)が、頭をハンマーで殴られ、1週間後の3月23日に脳挫傷のために亡くなりました。「彩花ちゃんは大の動物好きで、手袋を拾って交番に届け「手袋落とした人も困ってるし、落とされた手袋もかわいそうやし」と心を和ませたこともあったという。」(共同通信、1997年12月13日)また、彩花ちゃんは「星に願いを」が好きだったそうです。

 2000年3月3日、増山慎二ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。

 浜名愛ちゃん(当時7歳)が、2004年3月11日の午後に、犯人宅に連れ込まれ、手やタオルで首を絞められて殺害されました。愛ちゃんは、よくお手伝いをする子だったそうです。

 2006年3月20日午後零時45分ごろ、山川雄樹ちゃん(当時9歳)が、帰宅途中に、自宅のあるマンションの15階から犯人に投げ落とされて、心臓破裂によって亡くなりました。スポーツ好きで活発な少年だった。

 2001年3月21日、畑埜翔ちゃん(当時3ヶ月)が亡くなりました。

 2004年3月、萬田尚博(たかひろ)ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

 2005年3月15日、神内陸(じんないりく)ちゃん(当時1ヶ月)が亡くなりました。

 2005年3月29日、石見真歩ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2006年3月10日、吉田柊馬(しゅうま)ちゃん(当時4歳)と吉田朱妃(じゅり)ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

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1月25日から2月27日に奪われた光

 河西美枝ちゃん(当時2歳10ヶ月)が、1987年2月14日、犯人宅に連れ込まれた際に大声で泣いたため、粘着テープで口を塞がれた上、そのまま放置されなくなりました。翌日、岡谷市内の山林に埋められました。

 蓮尾岳史(たけし)ちゃん(当時7歳)が、1990年2月2日、下校途中、当時17歳の犯人に、大野城市の農業用ため池「新池」まで連れていかれ、6時20分ごろ、草むらで首を手で絞められて窒息死しました。

 1998年1月30日、石原克則ちゃん(当時12歳)が、小学校から帰宅途中の路上で犯人に、マフラーで首を絞められそうになって、逃げたところを包丁で首を刺されて殺害されました。

 藤嶋飛士己(ひとき)ちゃん(当時1歳2ヶ月)が、2002年2月19日、保育施設の小鳩幼児園々長の虐待によって亡くなりました。

 2003年1月25日、鳴海香織ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。

 2004年2月23日、鳥見颯姫(さつき)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2005年1月28日、堀内香澄ちゃん(当時7ヶ月)が亡くなりました。

 2005年1月30日、畠山琉星(りゅうせい)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2005年2月1日、谷本琉美(るみ)ちゃん(当時2ヶ月)が亡くなりました。

 2005年2月7日、大亀一樹(当時5歳)が亡くなりました。

 2005年2月8日、酒井弘之(ひろゆき)ちゃん(当時7ヶ月)が亡くなりました。

 2005年2月11日、佐藤大輝(だいき)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2005年2月27日、藤井孝平(こうへい)ちゃん(当時2歳)と彩菜(あやな)ちゃん(当時生後21日)が亡くなりました。

 2006年2月7日、島内碧(へき)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2006年2月7日、山下歩夢(あゆむ)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2006年2月10日、金光奎亮(けいすけ)ちゃん(当時3歳)と金光里紗ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

 2006年2月24日、古川頌(しょう)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2006年2月25日、佐藤光明ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2006年2月17日に、グループ通園中に、武友若奈ちゃん(当時5歳)と佐野迅ちゃん(当時5歳)が、胸や背中などを約20箇所を刺され、若奈ちゃんは同日午前9時45分ごろ、迅ちゃんは正午ごろ息を引き取りました。
 今から1年前に起きた衝撃的な事件で、速報を知った時、「何が起きたのだろうか」と思いました。この事件が起きなければ、二人はもうすぐ小学校へ入学するはずだった。そして、若奈ちゃんの「ケーキ屋になりたい」という夢、迅ちゃんの「しんかんせんのうんてんしゅになりたい」という夢は、犯人の身勝手な思いにより断たれてしまいました。

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12月17日から1月22日までに奪われた光

 1987年1月22日に、小学3年生の辻角公美子(つじかどくみこ)ちゃん(当時9歳)が、いたずら目的で誘拐され殺害されました。

 1998年1月8日午前8時50分ごろ、大阪府堺市の路上で、送迎バスを待っていた大国加奈ちゃん(当時5歳)が、当時19歳の犯人に背中を刺されて、亡くなりました。笑顔がかわいく、将来は、幼稚園の先生になりたいという夢は叶わなくなってしまいました。赤いランドセルを背負って小学校に行くの楽しみさえ、かなえられなくなってしまいました。

 1999年12月21日午後2時ごろ、学校の校庭で遊んでいた中村俊希(当時7歳)が、文化包丁で首などを刺されて亡くなりました。
 俊希ちゃんは、学校が大好きで、友達からボールを貸してといわれるといつもいやな顔もせずに「いいよ」と答えるやさしい男の子だったそうです(読売新聞(東京朝刊)、1999年12月24日)。また、2000年3月10日の読売新聞(東京夕刊)に掲載された記事によれば、俊希ちゃんは、将来、プロ野球選手になりたかったそうです。

 世田谷区上祖師谷3丁目で2000年12月30日午後11時ごろから31日早朝にかけて、宮沢にいなちゃん(当時8歳)、宮沢礼ちゃん(当時6歳)を含む一家4人が殺害されました。
 「輝いて今・・・・」では、ご家族の写真が公開されています。家族の幸せな姿を奪った犯人人は未だに逮捕されていません。
 にいなちゃんは、将来、バレリーナになりたかったそうです。また、礼ちゃんは、小学校入学を楽しみにしていたそうです(共同通信、2001年1月6日)。
 「犯人は、比較的裕福な家庭で家族と同居する二十-三十歳代の男」(読売新聞(東京朝刊)2003年12月24日)の可能性。「犯人が履いていた運動靴は英国の「スラセンジャー」、ハンカチから検出された香水はフランスの「ドラッガー・ノワール」と、いずれもブランド品だった。」(同記事)また、血液型はA型で、かなり大柄な人物と考えられています。警視庁では、情報を公開し、犯人対の協力を呼びかけています。

 広島市西区で2001年1月17日午前3時ごろ、祖母宅で暮らしていた中村彩華(あやか)ちゃん(当時8歳)と中村ありすちゃん(当時6歳)が亡くなりました。この事件の犯人は、2人の父でした。祖母を殺害し、祖母宅に火をつけ、2人の姉妹は亡くなりました。一緒に小学校に行くのを楽しみにしていた姉妹の短い生涯は、保険金を目的にした放火によって、閉じてしまいました。

 2002年12月17日、井本愛里(あいり)ちゃん(当時6歳)が亡くなりました。

 2004年1月5日、愛知県豊川市で、岩村純那(じゅんな)ちゃん(当時6歳)が、継母から腹を踏みつけられたことによる外傷性ショックで亡くなりました。虐待は、2002年7月ごろから、純那ちゃんと姉に対して連日のように行われ、姉妹は「顔を合わせると怒られる」と物置として使われた部屋で、食事をしたり、トイレもペットボトルでしていたそうです。
 そして、事件当日、暴行を受けた後、夕食も取らず、午後八時ごろ、姉とともに布団に。そこで、「お姉ちゃん、おなかが痛い……」と布団の中から訴えた純那ちゃんに、一緒に寝ていた姉は「起こすとまた怒られちゃう。我慢して」と小声でつぶやいた。純那ちゃんはそのまま息を引き取りました。
 以前、純那ちゃんが通っていた園長先生は、「純那ちゃんは寂しがりやで、屋内でままごとをしたり、ぬいぐるみを抱いて遊ぶことが多く、空の雲の形を見て「動物に似ている」と話すなど想像力豊かだったという。」(毎日新聞(中部朝刊)、2004年1月7日)

 2004年12月20日、川北依楼(えみる)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2004年12月27日、堀内美久(みく)ちゃん(当時9歳)と堀内賢夢(けんむ)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2005年1月1日、前川航希(こうき)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2005年1月15日、高橋勇成ちゃん(当時11ヶ月)が亡くなりました。

 2005年1月22日、花弥樹莉(じゅり)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2006年1月3日、三田まりあちゃん(当時4歳)が亡くなりました。

 2006年1月22日、木村月(るな)ちゃん(当時6歳)が亡くなりました。

 2006年1月22日、村上唯(ゆい)ちゃん(当時9歳)と蓮(れん)ちゃん(当時6歳)が亡くなりました。

 2006年1月22日、小池萌咲(もえ)ちゃん(当時9歳)と小池壱星(いっせい)ちゃん(当時7歳)が亡くなりました。

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12月5日から12月13日までに奪われた光

 埼玉県川越市に住んでいた難波絵梨香ちゃん(当時4歳)が、1988年12月9日午後4時30分ごろ誘拐され、午後7時ごろ車内で首を絞められ、窒息死しました。
 この事件は、埼玉東京女児連続殺人事件として、当時の世間を震撼させたものです。

 1990年12月9日午後1時15分、智片直子ちゃん(当時11歳)が亡くなりました。この事件の犯人は逮捕されないまま、公訴時効が昨年成立しました。

 2000年12月10日、谷川依織ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。
 この事件について、平成15年10月15日の名古屋高裁判決文によれば、
 2000年11月上旬から、依織ちゃんは朝食を与えられなくなり、昼食も1日おきに、夕食はご飯にみそ汁などをかけたものを与えられてた程度だったそうです。そして、台所脇の3畳間に閉じこめられ、食事の時以外は両手両足をひもで縛られた状態で放置されていましたが、11月18日ごろからは、底にタオルケットを敷いた段ボール箱に入れられ、更に上から別の段ボール箱で蓋をされ、身動きすらできない状態にされていたそうです。同23日ごろには、自分の上半身を支えられないほどにやせ細っていたそうです。その後、風呂に入れられず、紙おむつや着衣を取り替えられなかったため、糞尿にまみれた状態で放置され、食事も夕食を1日おきくらいにスティックパン2本とミルク約200㏄を与られるだけとなり、とうとう、12月10日に息を引き取りました。

 2001年12月8日、黒川留圭(るか)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2003年12月12日、岡本彩華(あやか)ちゃん(当時生後4ヶ月)が亡くなりました。

 2004年12月5日、岩崎花菜(かな)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

 2004年12月13日、大孝ありすちゃん(当時3歳)が亡くなりました。

 2005年12月7日、吉村龍也ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。
 事件は、午前7時50分ごろおきました。父親の再婚相手である母親によって、のみぞおち付近を2度にわたってけられ、肝臓破裂などによって亡くなりました。毎日新聞(2005.12.09 中部朝刊)によれば、「母親ができる前は、祖母の家に預けられたり、一人で寂しそうに歩いている姿がたびたび目撃された」そうですが、10月に父親が再婚したことで、龍也ちゃんは母親ができてうれしそうだったそうです。

 2005年12月10日に、堀本紗也乃(さやの)ちゃん(当時12歳)が、学習塾の教室内で、塾講師に首を刺されて殺害されました。本当なら、中学一年生として、新たな人生を歩んでいるはずでした。
 2006年2月20日、紗也乃ちゃんのお父さんのコメントが公表されました。それは、以下のものです(共同通信 2006年2月20日より)。
 平成五年八月三日生まれ。「さやの」は優しく聞こえる音の響きから命名。「紗」は絹織物の意味。丈夫で美しく育つようにとの思いをこめた。あとは、画数。
 小さなころは寝相も悪かったが、体力のある子で、寝付きも良く、生命力の強い子だと思っていた。
 友達といる時はいつもニコニコしていた。恥ずかしがり屋で、授業中など積極的に発言するタイプではなかった。ふんわりとした優しい子どもだった。
 京都に帰ってからも「ドラえもん」を見ていた。東京ディズニーランド、シーが大好きだった。
 平成十七年一月末日、同級生十人ぐらいと「としまえん」(遊園地)で遊んだ。そのときにもらったプレゼントをものすごく大切にしていた。
 平成十七年三月二十四日、東京の官舎から自家用車で家族四人で(京都に)帰るとき、杉並第二小学校の同級生十人ぐらいがお別れに来てくれて、お別れを伝えた後も、百メートルぐらい走って追っかけてくれた。その後紗也乃は別れの寂しさから三十分ぐらい車の中で泣いていた。
 【最近の状況(京都)】
 妻が塾に迎えに行って待つ時間があるため、塾の勉強が終わったら、電話するのでそれから迎えに来てくれたらいいと、親を気遣ってくれる子。
 学校の先生や、友達の不満など自宅でも言ったことがない。(萩野は別)
 私自身紗也乃の死がなければ見ることがなかったと思うが、小学五年生の手帳には、大事なもの「友達」、小学六年生の手帳には、大事なもの「友達、家族」と記されていた。
 東京の友達からもらったミサンガを身につけていた。

 ご両親の無念を考えると胸が痛みます。

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12月1日から2日に奪われた光

 2000年12月1日、合木龍太ちゃん(当時5ヶ月)が亡くなりました。
 未熟児で生まれた龍太ちゃんは、約3ヶ月保育器で育ち、退院後から暴行を受けていました。亡くなった日の夕方に、頭や顔を平手で叩かれたり、床に落とされたりといった暴行を受け、硬膜下血腫などによる水頭症で亡くなりました。

 2001年12月2日、形井久之(ひさし)ちゃん(当時2歳5ヶ月)が亡くなりました。
 12月1日午前2時と午後10時ごろの2度にわたって、あごを殴られ、転倒させられ、翌2日の午後11時10分に後頭部や顔の打撲による脳浮腫で亡くなりました。久之ちゃんは、経済的な理由から県内の児童福祉施設に預けられていましたが、10日ほど前から一時帰宅している間に起きた悲劇でした。

 2004年12月1日、藤田優人ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。
 優人ちゃんは、3月に父親が交通事故でなくなったために、6月ごろから、双子の弟ともに伯父のもとで暮らしていました。しかし、11月19日ごろから3日間にわたって、暴行を受け、意識不明の重体となり、1日に、頭蓋内損傷で亡くなりました。

 2005年12月2日ごろ、日光市(旧今市市)で、吉田有希ちゃん(当時7歳)が、午後2時50分ごろ下校途中に誘拐された後、刃物で胸を数箇所刺されて殺害されました。遺体は、常陸大宮市の山の中に遺棄されていました。
 この事件の犯人は、いまだに逮捕さていません。
 警察庁のプロファイリングによると、
 犯人は、失踪(しっそう)現場から5キロ圏内で生活する20~30代、1人暮らしの男」の可能性が高いとされています。
 杏林大学医学部の佐藤喜宣教授(法医学)によれば(産経新聞2005年12月5日、大阪朝刊)、
 性的な動機というよりも、抵抗できない子供に「死」をもたらすことに強い興味を持つ人間が行う「快楽殺人型」のような可能性が考えられる。こうした点からは、女性も犯人の可能性として排除すべきではない。
 犯人像としては、二十-三十代で、比較的知的水準が高いように推測できる。
 という考え方が示されている。

 いずれにしても、20代~30代で、誘拐現場と遺棄現場に詳しい人間というプロファイリングです。

 また、毎日新聞(2006年11月29日)によれば、
 「(1)白のセダン(2)白のワンボックスカー(3)黒のステーションワゴンの3タイプに絞り込んだ。白のセダンは旧型のトヨタ・マーク2とみられ、有希ちゃんと一緒に下校していた同級生が通学路で目撃、車体に泥がはねていた。白のワンボックスカーは通学路付近に駐車されていて、車内にぬいぐるみが置いてあった。黒のステーションワゴンは急発進し猛スピードで走り去った。捜査本部は白の軽ワンボックスカーの目撃情報も有力視していたが、駐車していたワンボックスカーと同一との見方を強めている。」

 有力な手がかりがないまま、1年が過ぎてしまいましたが、逮捕されることを強く望みます。

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11月8日~27日に奪われた光

 若山春奈(わかやまはるな)ちゃん(当時2歳)が、1999年11月22日午前11時50分ごろ、東京都文京区大塚5丁目の幼稚園から近くの公衆トイレに連れ出され、犯人によって、首をマフラーで絞められ殺されました。

 小西加織ちゃん(当時5歳)が、2003年11月12日、千葉県我孫子市の自宅で、顔を平手打ちされたり、腹をけられて後頭部を柱にぶつけられたりする暴行を加えられ、その3日後の15日に、硬膜下出血で亡くなりました。

 安部憂那(ゆうな)ちゃん(当時生後4ヶ月)が、2003年11月17日、福岡県古賀市の自宅で、抱き上げられて頭を部屋の柱に強くぶつけられた上、頭を数回けられたために、翌日、脳挫傷で亡くなりました。6月に生を受けて、7月ごろから、虐待を受け、短い生涯を終えてしまいました。

 浅川美夢(みみ)ちゃん(当時4ヶ月)が、2003年11月27日、低栄養に起因する肺炎で亡くなりました。
 当時、栄養失調で死亡したということで虐待として、非常に騒がれた記憶があります。記事を読んでみると、美夢ちゃんは極低出生体重児として生まれ治療を受けていたそうです。そして、退院の際に、授乳方法や定期的な外来診察などの指導を受けたが、それを怠ったために、美夢ちゃんは体調を崩し、そして、亡くなりました。確かに、定期的に受診させなかったことは、育児のあり方として十分であったかは疑問です。ただ、この事件では、保護責任者遺棄致死として、宇都宮地裁判決で両親に2年6ヶ月の実刑判決となっていますが、他の虐待事件とは趣が異なる感じがしてなりませんでした。

 井口桃華ちゃん(当時6ヶ月)が、2004年11月8日、広島市中区の自宅で、窒息死しました。
 冷凍庫に入れて扉を閉められ、その後、ビニール製の買い物袋に頭から押し込まれた上で、ドアのフックにつるるされました。そして、袋が切れて床に落ちた後、クッションで顔を押さえつけられ、タオルで縛られて放置されました。

 星野渚ちゃん(当時1歳)が、2004年11月16日に、低酸素性虚血性脳症によって亡くなりました。
 この事件は、10月31日午後10時5分ごろに、名古屋市中川区豊成町で、顔を平手で数回たたかれた際に、転倒して柱に後頭部を打ちつけ、意識不明の重体となっていましたが、一度も意識が戻らずに亡くなりました。

 有山楓(かえで)ちゃん(当時7歳)が、2004年11月17日午後1時50分ごろ、奈良市内の路上で、下校途中に犯人に誘拐され、午後3時20分ごろ、奈良県三郷町の犯人宅の浴槽に沈められて窒息死しました。
 この事件の犯人に対する奈良地裁からの死刑判決が確定しています。

 木下あいりちゃん(当時7歳)が、2005年11月22日、下校途中に首を絞められ殺害されました。
 この事件の犯人に対する広島地裁からの無期懲役に関して、控訴されています。
 広島地方裁判所「強制わいせつ致死,殺人,死体遺棄,出入国管理及び難民認定法違反被告事件(平成17(わ)1355)」

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秋田4歳男児殺人事件

 2006年10月23日、午後7時ごろ、秋田県大仙市の農業用水路(道路脇から2メートル下にある、幅約2メートル、高さ約75センチで、当時の水深2~3センチ)で、進藤諒介ちゃん(4歳)がうつぶせで倒れているのが発見されましたが、殺人事件と判明し、犯人として、母親とその交際相手が、11月13日に逮捕されました。
 同じ秋田県では、4月9日に、畠山彩香ちゃん(当時9歳)が殺害され、5月17日に、米山豪憲ちゃん(当時7歳)が彩香ちゃんの母親によって殺害されるという事件が起きていました。
 マスコミは、この2つの事件の類似性を指摘しています。

 原因は、今のところ、「子どもがうるさかったから」「言うことを聞かなかったから」などと報道されています。本当に、こんなことで、殺すほどの暴行を自らの子供にできるものかと思う。確かに、言う事を聞かない、良くあることだともいます。だからといって、なぜと感じます。

 諒介ちゃんのご冥福をお祈り申し上げます。

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広島兄妹殺人事件差戻審と11月2日に奪われた光

 2006年10月31日、広島地裁で、瀬川慶樹(よしき)ちゃん(当時6歳)が殺害された事件(1999年9月26日)の差し戻し審が行われました。求刑通り、無期懲役の判決となりました。一審、控訴審の判決文を読むと、その虐待の激しさに、どれほど苦しかっただろう、どれほど痛かっただろう、どれほど悲しかっただろうという思いがしました。
 そして、1999年10月12日に、妹の瀬川祥子(しょうこ)ちゃん(当時4歳)が、慶樹ちゃん同様、同居男性からの暴行によって亡くなりました。
 平成14年10月10日朝、祥子ちゃんが、だだをこねて物を口にくわえたことなどに怒って数回平手打ちし、翌11日にかけて、パチンコ店やスポーツ店で自動車内に残された祥子ちゃんが無断で車外に出たことに怒って顔や頭を殴打するなど、断続的に暴行を加えられました。そして、11日夜から12日にかけて、祥子ちゃんの髪の毛を掴んで、顔面を繰り返し殴打する暴行を始め、その後、腹部を手拳で殴打し、母親が静止した後も、腹部を4、5回殴った。この暴行によって、祥子ちゃんは、腹部臓器損傷基づく失血により亡くなりました。

 2003年11月2日、安岐海帆(みほ)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。10月26日午前零時ごろ、海帆ちゃんは、熱湯を浴びせられ、全身に大やけどを負い、28日には立ち上がれなくなり、29日にはぐったりした様子となりましたが、医療機関で治療されずに、11月2日午前5時ごろ、1人、押入れの中で亡くなりました。海帆ちゃんの前額部、左顔面、後頭部、後頸部、左右側頸部及び背部の全体に、体表面積の20%の第2度の熱傷を負っていました。そして、細菌に感染して敗血症となり、亡くなりました。
 海帆ちゃんは、平成13年10月20日に、母親と不倫相手の間に生まれ、約1年半の間、施設で育ちました。1歳を過ぎたころに、母親が面会に訪れるようになり、面会の際にはほほえましい光景が見られたそうです。4月に施設を退所した際には、施設でだれもが幸せを祈ったそうです。でも、6月末ごろから、十分な食事が与えられなくなり、2歳と6日を過ぎたころに、悲劇が起きました。
 施設の看護師さんは、「ぽちゃぽちゃっとした体格でくるくるとした目をしたおちゃめな子だった」(読売新聞、大阪朝刊、2005年4月1日)と語っていますが、その笑顔は二度とみることができなくなってしまいました。

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9月29日から10月末までに奪われた光

 2000年10月16日、梅村拓哉ちゃん(当時10歳)が、同月14日から手足を縛られるなどされたうえ、十分な食事を与えられずに、敗血症によるショックで亡くなりました。

 2001年10月12日午後3時ごろ、諫早市福田町の小学1年生 川原和未子ちゃん(当時7歳)が車まで誘拐され、午後5時ごろ、首を絞められて殺害され、山中に遺体を放置されました。


 2003年10月下旬、未熟児で病弱であった高旗龍翔(りゅうしょう)ちゃん(当時1歳7ヶ月)が、約1週間食事を与えられずに、亡くなりました。

 2003年10月19日、森島勇樹ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。
 この事件は、名古屋市昭和区で起きた事件で、母親とその交際相手で同居していた高校3年生による虐待事件として社会に大きな波紋を広げました。
 勇樹ちゃんは、7中旬から「ごはんをこぼした」とか「歯を磨かなかった」と、少年から暴行を受けて、あざを作って保育園に来るようになり、8月8日夕方には、勇樹ちゃんは「埼玉のおじいちゃんのところ」にいこうとして、自宅に近い地下鉄御器所駅で保護されています。4歳の子供がどんな思いで、家出をしようとしたのか。
 そして、10月中旬に、「お母さんと一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たり、抱っこしてもらいたい。園長先生お母さんに言ってくれない?」と保育園の園長に話した翌日、「絵本を読んでもらったよ」とうれしそうに報告した、その4日後に、事件は起きました。
 2003年10月19日午後3時20分すぎごろから約十数分間、勇樹ちゃんは、腹や胸を何度も蹴られたり殴ったりした上、40センチの高さから放り投げた上、腰や胸をけり、内臓破裂による出血性ショックで死亡させた。
 この事件の裁判については、以下のとおりです。
 名古屋地方裁判所「傷害致死,暴行被告事件」(平成15(わ)3288) 平成17年04月19日判決

 名古屋高等裁判所「傷害致死幇助被告事件」平成17(う)248 平成17年11月07日判決

 2004年10月7日、植田有輝(ゆうき)ちゃん(当時2歳)が、顔面を数回殴られ、腹部をひざでけり上げられて、肝臓破裂などで亡くなりました。

 2004年10月17日、池味伸龍(いけみしんたつ)ちゃん(当時10ヶ月)が、午前1時から3時までの2時間にわたって顔などを殴られて、急性硬膜下血腫で亡くなりました。

 2004年10月18日、後藤未来ちゃん(当時1歳9ヶ月)が亡くなりました。未来ちゃんは、8月31日午前0時半から午前7時50分ごろにかけ、顔面や腹部を殴られたり、頭をテーブルに打ち付けられたり、顔を水につけられたりされて、重症頭部外傷で亡くなりました。

 2005年9月29日、中島唯ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。8月下旬から9月17日までほぼ連日、実母とその同居男性から暴行を受け、9月17日、アザだらけの顔を繰り返し殴られ、くも膜下出血で意識不明となり、29日に亡くなりました。読売新聞(2006年4月15日、大坂朝刊)によれば、17日に暴行を受けた際、「いつものように黙していた唯ちゃんは、この時既に、くも膜下出血で脳が腫れており、意識が遠のいていった。「自らの死を幼心に本能で感じ、生への執着として」、押し入れと壁をたたいた。」という。4歳の子供がどのような気持ちでいたのだろうか。唯ちゃんのモデルになりたいという夢も途絶えてしまいました。

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9月15日から9月23日に奪われた光

 荻原功明(よしあき)ちゃん(当時5歳)が、1987年9月14日に、高崎市筑縄町の「地神社」付近で誘拐され、昭和62年9月16日高崎市鼻高町少林山近くの寺沢川にかかる入の谷津橋下で、遺体で発見されました。この事件は事項を向けていますが、群馬県警では、今も情報提供を求めています。

 1999年9月26日、瀬川慶樹(よしき)ちゃん(当時6歳)が亡くなりました。この事件では、1999年8月下旬ごろから、花火の火の粉をつけられたり、手足を紐で縛られて浴槽に入れられたり、布団たたき等で殴打されたりと虐待で衰弱していたにもかかわらず、9月26日ごろに、暴行を加えられた後、ビニール袋に入れられた上、大きなスポーツバックの中で、助けを求めながら窒息死しました。そして、慶樹ちゃんの遺体は、山中に遺棄されました。

 2002年9月15日午後11時15分ごろ、中田志歩ちゃん(当時9歳)が、約33時間20分の監禁の末、眠っているところに、腹部を刺されて失血死しました。4年前に起きた悲しい事件です。
 志歩ちゃんは、小学校一年生の時、乳がんで母親を亡くしていました。それでも、友だちと元気よく遊び、だれにでもやさしく接する明るい子だったそうです。そして、「ヤワラちゃんをまねて、女児の多くが母親に髪を結ってもらっていたが、母のいない志歩ちゃんは、一人でゴムをつけた。うまく結べていなくて練習中にほどけることもあったが、友だちの母に頼ることはなかった。今年夏の地区少年柔道大会では、小学三年の部で銅メダルに輝き、「ヤワラちゃんみたいに金が取れるように頑張る」と夢を描いた。」(産経新聞、2002.09.17、大阪朝刊)でも、その夢は叶わなくなってしまいました。
 天国でお母さんに沢山甘えられていればと思います。

 2004年9月23日、奥田征也ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。この事件は、2004年8月~9月に母親と母親の内縁の夫から火を押し付けられたり、頭を壁に打ち付けられたり、棒で殴ぐられたりといった暴行を受け続けた結果、ストレスによる潰瘍で十二指腸に穴が開き、腹膜炎で、征也ちゃんの生涯は終わってしまいました。

 2005年9月23日、井上美莉愛(みりあ)ちゃん(当時2ヶ月)が亡くなりました。この事件は、2005年7月26日から8月16日まで、顔を手で殴ったり、体を放り投げたり、浴槽の水に沈めたりといった暴行の末、8月16日に服の襟を捕まれて振り回された上、投げつけられて頭を強打し、9月23日に脳圧迫で亡くなりました。

 先日は、同居男性から暴行を受けて、今野星菜(せいな)ちゃん(当時4歳)と陽菜(ひな)ちゃん(当時3歳)の姉妹の命が奪われました。

 この子達のご冥福をお祈り申し上げます。

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大阪府吹田市女児殺害事件

  森山千郷ちゃん(当時4歳)が、1991年9月11日に行方不明になり、淀川右岸で水死体となって発見された事件から15年が過ぎ、犯人は逮捕されないまま、昨日、公訴時効が成立しました。なぜ、千郷ちゃんは殺されなければならなかったのか、非常に残念ですが、恐らく明らかにならないのだろうと思います。千郷ちゃんの無念、御両親の無念を考えると本当につらい思いがします。

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8月23日から9月11日までに奪われた光

 2002年8月27日、遠島里紗ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。

 2004年9月3日午後3時35分頃、筒塩侑子(つつしおゆきこ)ちゃん(当時9歳)が、自宅で何者かに胸や腹等を刺されて殺害されました。
 毎日新聞(2006.09.02、地方版/岡山)によれば、事件10日前の2004年8月24日には、家族で蒜山高原へ夏休みの思い出作りをした帰りには、侑子ちゃんの「また連れてきてね」に「何度でも連れてきちゃる」という約束が交わされたそうです。この約束も叶わないものに。同じ記事で、「洗濯物をたたんだり台所で一緒に菜っ葉を切ったり」ととてもお手伝いをしてくれる子だったそうです。
 侑子ちゃんの夢は、「大人になったら(スーパーの)お店屋さんになりたい」というものでしたが、もう、叶わなくなりました。
 このような凄惨な犯行を行った犯人は、未だに、捕まっていません。幼い命、家族の心、様々なものを奪った犯人。犯人は、決して許されるべきではなく、また、真実を語る義務があると思います。

 2004年9月9日午前4時ごろ、母親とともに、長男加藤佑基(ゆうき)さん(当時15歳)、長女里奈(りな)さん(当時13歳)、次男正悟(しょうご)ちゃん(当時9歳)が、豊明市沓掛町の自宅で殺害されました。正悟さんと佑基ちゃんはバールのようなもので殴られたことにより、また、母親と里奈さんはサバイバルナイフなどのような大型ナイフで顔や背中の十数カ所を刺されたことにより、亡くなりました。その後、犯人は、自宅に灯油をまいて放火し、現在も逃走中です。

 2004年9月11日、小林一斗(かずと)ちゃん(当時4歳)と隼人(はやと)ちゃん(当時3歳)が、誘拐された後、生きたまま川へ投げ捨てられて、殺害されました。この事件から2年がたちました。犯人は、一斗ちゃん隼人ちゃんの父親の知人でしたが、死刑判決後に、留置所で病死しています。

 2005年8月23日、竹内裕人(ゆうと)ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

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意識不明の2歳児が亡くなりました

 重体だった愛沢かすみちゃん(2歳)が、22日午後11時40分ごろ、入院していた北海道室蘭市の病院で亡くなりました。非常に残念です。

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8月12日から8月21日までに奪われた光

 2002年8月12日、栄養失調による急性肺水腫で、大迫雄起(おおさこ ゆうき)ちゃん(当時12歳)が亡くなりました。その当時の雄起ちゃんの体重は、19キロだっとそうです。母親とその知人によって、2001年1月から南京錠をかけられた一室に監禁され、そして、2002年4月以降、1日1回の流動食しか与えられずに、車屋さんなりたいという夢をかなえることができないまま、この世を去ってしまいました。

 2004年8月12日午後6時半ごろ、金田宏暉(ひろき)ちゃん(当時2歳4ヶ月)が自宅浴槽に沈められて亡くなりました。二人暮らしをしていた母親が、育児に悩んだ末に起きた悲しい事件です。

 2004年8月18日、植村伊織ちゃん(当時生後34日)が、顔や額を何回殴られ、腹部を踏みつけられたことによる、外傷性ショックで亡くなりました。

 2004年8月21日、若松明日香ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。

 2005年8月17、代田奏穂(かなほ)ちゃん(当時1歳11ヶ月)が、顔や頭を平手で複数回殴られたことによる外傷性くも膜下出血で亡くなりました。

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8月6日から8月7日に奪われた命

 1997年8月6日午前7時45分ごろ、古川麻衣ちゃん(当時8歳)が、夏休みの登校日に一人で登校中、自宅から500m付近で、犯人宅にいたずら目的で連れ込まれ、顔を浴槽に沈められて殺されました。その後、遺体は、福岡県那珂川町市ノ瀬の九千部(くせんぶ)山のヒノキ林に運ばれ、プラスチック製のバケツの中に入れて捨てられていました。ピアノの先生になりたいという夢は叶うことがなくなってしまいました。

 2001年8月7日、勢田恭一(きょういち)ちゃん(当時6歳)が亡くなりました。この事件では、恭一ちゃんの遺体が兵庫県尼崎市大浜町1の北堀運河でポリ袋に入れられた状態で発見されたことで、当時、社会に大きな衝撃を与えたものでした。恭一ちゃんは、その年の1月に実父の元から実母に引き取られましたが、その直後から暴行を受けたため、2月に児童養護施設で保護されていましたが、8月1日に一時帰宅した際に事件が起きてしまいました。

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7月28日~8月5日に奪われた光

 2002年7月28日、村瀬翔ちゃん(当時1歳10ヶ月)が、愛知県豊川市のゲームセンター内の駐車場から連れ去られ、約4キロ離れた御津町の海岸で水死体で発見されました。容疑者が逮捕されたものの、2006年1月24日の名古屋地方裁判所は無罪判決となっています。
 2003年8月5日、嶋村元気(もとき)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。2003年8月3日に、母親の同居男性2人から、「子供が痛がる様子を見て楽しむなど」の理由から、約2時間にわたって頭部を床や壁に打ちつけられたり、腹部などをけられたりするなどの暴行を受け、急性硬膜下血種で亡くなりました。

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7月7日から7月14日までに奪われた光

 2003年7月14日、秋葉優香ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。父と同居女性から虐待は2001年8月ごろから始まりエスカレート。2003年7月6日から12日までに、虐待を受けた結果、脳障害で亡くなりました。
 2005年7月7日、福田健吾ちゃん(当時2歳5ヶ月)が亡くなりました。2003年4月25日午後7時ごろ、健吾ちゃんは、顔面を殴られるなどしたため、外傷性脳損傷による意識不明の重体となっていました。生きようとした健吾ちゃんは、2年2ヵ月後に、力尽きてしまいました。

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@nifty:NEWS@nifty:無理心中?車内に2女児、付近に女性の遺体…岩手(読売新聞)

リンク: @nifty:NEWS@nifty:無理心中?車内に2女児、付近に女性の遺体…岩手(読売新聞).

 幼い命が、また、奪われた。無理心中の可能性があるそうです。今回奪われた命は、小学1年生の小野寺美咲ちゃん(6歳)と保育園(4歳)に通う楓ちゃんの姉妹。首を絞められていたそうです。小学校に入学して、3ヶ月。沢山のお友達と沢山の思い出が待っていたはずの未来はもうなくなってしまいました。非常に残念でなりません。
 理由はまだ分かりません。いろいろな思いがあったのだと思います。でも、親であっても子供の命を奪うことはやめて欲しいとと思います。

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6月28日~7月2日に奪われた光

 1991年7月2日、岡田瑠美ちゃん(当時7歳)が殺害されました。この事件は、公訴時効を迎えることになりました。これまでの資料では、瑠美ちゃんは、7月2日、午後7時ごろ公園で遊んでいたことが目撃されている。そして、その30分後に、県営住宅の植え込み付近でうつぶせの状態で倒れているのが目撃されており、午後7時45分ごろ、淡路信用金庫前から鳴尾新川にかかる三笠橋付近で犯人らしき人物に抱えられているのを目撃されたのを最後に、翌7月3日朝、鳴尾浜沖で遺体となって発見されました。死因は窒息死で、死亡推定時刻は7月2日午後7時から8時までの間。連れ去った犯人は、顔見知りの可能性があり、年齢は30歳から40歳前後で、身長165cm前後という証言もあり、また、性別は助成の可能性もあります。なお、連れ去った犯人は、別の男性が運転する黒く車体の低いスポーツカータイプの車で逃走していました。

 2003年6月28日午後3時半ごろ、杉尾優斗ちゃん(当時6歳)と駿斗ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。この事件では、夫からの暴力や育児の悩みや疲れなどでうつ状態となっていた母親が、当時、自室で騒いでいた優斗ちゃんと駿斗ちゃんに腹を立て、胸など数か所を刺して殺害したものでした。以前(判決当時)に、このブログで、優斗ちゃんが息を引き取る際、小さな声で「お母さん、ごめんなさい」ということを紹介しました。

 2003年7月1日午後9時15分ごろ、種元駿(たねもとしゅん)ちゃん(当時4歳)が、誘拐され、駐車場の屋上(高さ約20m)から生きたまま突き落とされ、殺害されました。この事件から3年がたちました。この事件は、
「奪われた光」を開設するきっかけの1つとなった事件です。

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6月20日から6月24日に奪われた光

 2003年6月20日、松本海(かい)ちゃん(当時11歳)とひなちゃん(当時8歳)が亡くなりました。この事件は、中国人留学生3人による福岡一家強盗殺人事件として、社会に大きな衝撃を与えたものでした。午前0時過ぎ、入浴中の母親を殺害後、海ちゃんの首を絞め窒息死させた後、午前1時40分ごろ帰宅した父親の「娘だけは殺さないでくれ」という願いも聞き入れず、ひなちゃんの首を絞めて窒息死させました。そして、博多湾に家族4人を遺棄しました。「医者になりたい」という海ちゃんの夢が、ここで途絶えてしまいました。
 2004年6月21日、丹野有己(ゆうき)ちゃん(当時3ヶ月)が亡くなりました。
 2005年6月21日、佐伯友恵ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。
 2005年6月24日、金城(きんじょう)ゆいなちゃん(当時1歳6ヶ月)が亡くなりました。

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光市母子殺害事件、最高裁は審理差し戻し判決

 1999年4月14日、山口県光市で起きた、少年による母子殺害事件の最高裁判決が出されました。
 2000年3月の1審(山口地裁判決)と2002年3月の2審判決(広島高裁判決)では、「犯行態様は計画的とまでは言えない。年齢も(死刑が適用できる)18歳になって1カ月しかたっておらず、内面の未熟さが顕著で、更生可能性がある」として、無期懲役と判決していました。
 しかし、最高裁は、まず、「犯行の罪質は甚だ悪質であり、2名の尊い命を奪った結果も極めて重大である。(中略)何ら落ち度のない被害者らの生命と尊厳を相次いで踏みにじった犯行は,冷酷,残虐にして非人間的な所業であるといわざるを得ない。」と示し、「罪の深刻さと向き合って内省を深め得ていると認めることは困難で」、「被告人が犯行時18歳になって間もない少年であったことは,死刑を選択するかどうかの判断に当たって相応の考慮を払うべき事情ではあるが、死刑を回避すべき決定的な事情であるとまではいえず」、酌量すべき事情を個別的に、また、総合的に考慮しても、「死刑を選択しない事由として十分な理由に当たると認めることはできない」ので、「その刑の量定は甚だしく不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。」と、無期懲役の判決を破棄して、審理を広島高裁に差し戻した。
 判決全文は、最高裁ホームページに掲載されました。全文は、こちら。
 これによって、広島高裁では、死刑判決となる可能性が高くなったと考えられます。

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6月7日から6月17日までに奪われた光

 1998年同年6月7日ごろ、緒方彩ちゃん(当時10歳)が、殺害されました。この事件は、北九州市で起きた監禁殺害事件で、5月17日ごろには、緒方優貴ちゃん(当時5歳)も殺害されています。
 2001年6月8日、大阪教育大教育学部付属池田小学校で、猪阪真宥子ちゃん、木曽友香ちゃん、酒井麻希ちゃん、塚本花菜ちゃん、本郷優希ちゃん、森脇綾乃ちゃん、山下玲奈ちゃん、戸塚健大ちゃんが刃物で刺されて殺害されるという事件が起きました。戸塚健大ちゃんは当時一年生だったので、同級生は6年生となり、真宥子ちゃん、友香ちゃん、麻希ちゃん、花菜ちゃん、優希ちゃん、綾乃ちゃん、玲奈ちゃんの同級生は4月から中学生となっています。5年と月日が流れ、犯人は死刑が執行されました。先日、健大ちゃんのご両親のコメントが公表され、そこで、「事件が歳月により風化されつつあるようで、非常に悲しい」と訴えていました。決して、この事件を風化させてしまうわけにはいかないと思います。
 2003年6月14日、畑埜綾香ちゃん(当時1歳3ヶ月)が亡くなりました。綾香ちゃんは、「妊娠二十八週目に生まれ、体重が千七十グラムしかない未熟児だった。肺に重度の障害を抱え、生後間もなく手術をし、退院後も投薬治療を受けていた。そのため、発育が遅れ、一歳三か月でやっと首が据わり、寝返りが打てるようになったばかりだった。ハイハイや一人で座ることはできなかったという」(「読売新聞 東京朝刊」2004.03.04、32頁)。そして、事件当日午後2時ごろ、泣き止まないことに腹を立てた父親に、綾香ちゃんは激しく揺さぶられた上、数回転倒させられるなどされたため、急性硬膜下血腫で亡くなりました。。
 2003年6月17日、加藤翔ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。翔ちゃんは、2003年5月中旬ごろから6月15日ごろまでの間に、十分な食事を与えられなかった上に、母親と同居男性から、パイプ椅子で殴る、エアガンで打つ、熱湯を浴びせるといった暴行を受けたことによる多発外傷性ショックで亡くなり、山中に埋められました。「カー助けて」、これが翔ちゃんの最後の言葉だったそうです。同居男性の動機は、腎臓病だった翔ちゃんが尿を漏らしたことや傷害事件で執行猶予中であったところ、翔ちゃんが警察ごっこをすることも気に食わなかったために虐待が始まり、母親は同居男性との生活の妨げになると考え共謀したと。
 この子達の冥福を心よりお祈り申し上げます。

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5月17日から6月6日までに奪われた光

 1998年5月17日ごろ、緒方優貴ちゃん(当時5歳)が亡くなりました。優貴ちゃは、北九州連続監禁殺人事件
の被害者の一人です。
 2003年6月6日、岡田綺(あや)ちゃん(当時生後25日)が亡くなりました。当日午前7時ごろ、泣き止まないことに腹を立てた父親によって頭を数回殴られるという暴行を受けて、頭蓋骨骨骨折等による外傷性脳障害で、短い生涯を閉じました。
 2004年6月1日、御手洗怜美(みたらいさとみ)ちゃん(当時12歳)が、学校で同級生の女の子に首等を切られて亡くなりました。この事件は、安全なはずの学校で起きたもので、その当時の衝撃は今なお思い出されます。同級生は現在中学2年生になっているはずです。
 2005年5月19日、嶺元一行(みねもとかずゆき)ちゃん(当時4歳)が亡くなりました。一行ちゃんは、生後まもなくから養護施設に預けられていたそうです。2005年3月末ごろに、実母と継父と同居した直後から、継父からの虐待を受け、5月18日に床にたたきつけられたことによって頭を強く打ち、脳が膨張し、頭がい骨を圧迫しために亡くなりました。養護施設の関係者によると、「一時帰宅の際も、一行ちゃんは『パパ、ママ』と、うれしそうに飛びついていた」そうです。
 2005年5月26日、黒肥地晴空(くろひじそら)ちゃん(当時1歳11ヶ月)が亡くなりました。2005年5月22日に、晴空ちゃんが食事を投げるなどしたためにしかったところ大泣きしたことに腹を立てた父親が、頭を蹴った上に、後頭部を踏みつけるなどの暴行を加えた結果、晴空ちゃんは4日後に急性硬膜下血腫で息を引き取りました。6月で2歳を迎えるはずだったそうです。

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@nifty:NEWS@nifty:小1男児遺体で発見、首絞められた跡…秋田(読売新聞)

リンク: @nifty:NEWS@nifty:小1男児遺体で発見、首絞められた跡…秋田(読売新聞).

 再び、子供が犠牲になってしまった。米山豪憲(ごうけん)ちゃん(7歳)が絞殺されてしまいました。
 先日、同じ地域で、畠山彩香ちゃんが、行方不明になり、水死体で発見されていましたが、警察では関連も調べているそうです。彩香ちゃんは事故とされていましたが、これほど、隣接した場所で、子供が行方不明になるということから、再度捜査を始めたそうです。
 事故であっても、事件であっても、子供の命が失われるということは、非常に、悲しい出来事であることには変わりません。犯人が早急に逮捕され、再び、このようなことが起きないことを切望します。

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5月9日~15日までに奪われた光

 1986年5月9日に、本間裕士ちゃん(当時6歳)が身代金目的で誘拐され、殺害されました。20年前に起こった事件です。裕士ちゃんは生きていれば26歳。
 1991年5月10日、山川典子ちゃん(当時6歳)が交通事故に巻き込まれなくなりました。この事件では、遺体がマンションの貯水槽下に遺棄されていました。母の日のプレゼントを託児所で作っていたのに渡すことが叶わなかったそうです。典子ちゃんは、託児所で年長者だったため、「車に気をつけなあかんよ」「へんなおっちゃんについて行ったらあかんねんで」と年下の子に声を変えていたそうです。犯人が逮捕されたという記事を探すことができていないので、もしかしたら、時効になってしまっているのかもしれません。そうだとしたら、犯人は、これまでどのように生きてきたのだろうか。
 2004年5月15日、三和美羽(みう)ちゃん(当時48日)が亡くなりました。
 2005年5月12日、関口達也ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。

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4月28日に奪われた光

 1992年4月28日夕方、小倉優華ちゃん(当時5歳)が、自宅付近で行方不明となり、翌日、豊中市穂積の宗教法人の教会敷地内で遺体で見つかりました。犯人の運転していた普通車か小型トラックに轢かれたために、尊い命が奪われたものです。なお、捜査本部の調べでは、遺体は洗われた形跡があり、大阪府吹田市江坂町四のため池「前田池」の可能性が高いとされています。

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4月14日に奪われた光

 4月14日は、2つの悲しい事件が起こっています。1つは、1999年4月14日に本村夕夏ちゃん(当時11ヶ月)が殺害された事件で、もう1つは、2002年4月14日に森瞳真(とうま)ちゃん(当時1歳)が殺害された事件です。
 本村夕夏ちゃんの事件では、今日、最高裁で弁論が行われることになっています。これまで、地裁及び高裁の判決は、無期懲役でした。事件は、自らの性的欲求を満たそうとした少年が、自宅に侵入し、母親を殺害後、夕夏ちゃんを殺害したものでした。
 森瞳真ちゃんの事件の概要は、地裁の判決によれば、母親の義父(夫の母の再婚相手)が、母親のまゆみさん(当時28歳)の首にナイロン製のひもを巻きつけて窒息死させ、瞳真ちゃんを水を張った浴槽に無理やり沈めて水死させるというものでした。この事件で、犯人とされている義父は容疑を一貫して否認しています。

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4月9日に奪われた光

 2005年4月9日午後10時ごろ、秋元双葉(ふたば)ちゃん(当時1歳)が母親に首を絞められて亡くなりました。この事件では、生活に不安を抱えていた母親は、事件当日に、双葉ちゃんが泣き止まないことから、「夫だけでなく長男にも苦しめられているという気持ちになった」ために、衝動的に殺害したものでした。
 ご冥福をお祈りいたします。

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3月29日に奪われた光

 2005年3月29日、石見真歩(当時3歳)が、虐待によって亡くなりました。幼稚園への入園直前のことでした。
 真歩ちゃんが、言う事を聞かなかったことに腹を立て、同年3月27日~28日に、腹をけられたり、抱かかえられて畳に落とされたことによる硬膜下血腫で亡くなりました。
 この事件では、児童相談所が、虐待の兆候を把握していながら、十分な対応ができなかったという批判を受けました。確かに、救えた命だったのかもしれません。

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3月20日に姫路で10歳男児が亡くなりました

 今年の2月20日、姫路市で、同居男性から約1ヶ月に及ぶ虐待による多臓器不全のために、10歳の男児が亡くなりました。
 男児は、1月9日~2月11日ごろに、頭や腰を殴られるなどの暴行を受けた上、食事を与えられずに半裸で頭から冷水を浴びせられました。更に、2月12日午後2~11時ごろには、頭を殴られるなどされてから、水をためた浴槽に立たたされた上で、冷水をかけられ、その後、暖房器具のない部屋で数回蹴るなどされたまま放置されていました。男児は、2月13日午前11時30分ごろに、意識がなくなり病院に運ばれましたが、全身打撲や免疫機能低下などから脳死状態になっていました。

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3月21日に奪われた光

 2001年3月21日、畑埜翔ちゃん(当時3ヶ月)が亡くなりました。また、妹の綾香ちゃん(当時1歳3ヶ月)は、2003年6月14日に亡くなりました。二人とも急性硬膜下血腫が死因です。検察は、父親による犯行として起訴し、2005年5月20日に、さいたま地裁は懲役9年の判決を下しています。
 生きていれば、翔ちゃんは、今度の4月で、年長さんになり、綾香ちゃんは、4歳になるころです。二人のご冥福をお祈り申し上げます。

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@nifty:NEWS@nifty:山口の母子殺害、弁護士欠席で口頭弁論開けず…最高裁(読売新聞)

リンク: @nifty:NEWS@nifty:山口の母子殺害、弁護士欠席で口頭弁論開けず…最高裁(読売新聞).

 この事件は、1999年4月14日午後2時半から3時ごろにかけて、本村夕夏ちゃん(当時11ヶ月)と母親(当時23歳)が、少年によって殺害された事件です。
 犯行の目的は、母親に対する強姦。激しく抵抗されたために、夕夏ちゃんの母親の頚部を両手で強く締め付けて殺害、乱暴した。そして、3時ごろ、その母親にすがりついて、激しく泣き続ける夕夏ちゃんを床ににたたきつけ、更に、首に紐を巻きつけて殺害しました。
 非常に悲しい事件です。前日のテレビ朝日の報道ステーションで、事件の状況が流されたとき、母親と夕夏ちゃんの無念さから、本当に、強い悲しみと憤りを感じました。
 このような事件が二度と起きませんように。

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3月15日に奪われた光

 2005年3月15日午後7時ごろ、神内陸(じんないりく)ちゃん(生後1ヶ月)が、泣き止まないことに腹を立てた父親に、足首を持たれて激しく揺さぶられたことによる急性硬膜下血腫などで亡くなりました。

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3月11日に奪われた光

 2004年3月11日午後2時40分ころ、浜名愛ちゃん(当時7歳)が、自宅付近で待ち伏せしていた犯人によって、犯人宅に両手で抱きかかえて、タオルを頸部の後から回し、窒息して亡くなりました。
 2005年の12月9日に前橋地裁で求刑通りの無期懲役の判決が出され、その後、犯人は、控訴せずに刑が確定しています。
 2005年12月8日(判決前日)、愛ちゃんのおかあさんの手記が、次のような手記を公表しています(毎日新聞 地方版/群馬より)。

  04年3月11日 高崎で野木被告に殺された当時小学校1年生、浜名愛の母でございます。
 当時はテレビ、新聞、報道関係は一切見ることはありませんでした。それは不信感と心身の疲れから精神状態が普通でいられなくなったからだと思います。それがなぜ今になってコメントを発表したいと思ったかと申しますと、小学1年生の女の子が襲われる事件が多発し、なんとか、こんな悲惨な事件の歯止めになればと思ったからです。私どもの事件の後、いたずらで子どもの手を引っ張る事件が全国で多発しました。そのたびに仏壇の前で手を合わせ涙しました。
 今でも事件当日を鮮明に覚えています。朝、娘が好きな服を選び「お母さん、昨日買った靴はどこ?」「名前を書いて玄関に出してあるわよ」「わーい」。新品のキャラクター入りのピンクの靴をはいて足を鳴らして喜んで「行ってきますー」と元気に登校しました。
 そして、学校の授業を終え、下校してくる娘を八百屋さんの前で友だちと一緒に、まっすぐ前を向いて歩いている姿を見たのが最後でした。
 それからほんの10分後、友だちの電話で娘がいなくなったことに気付き、エレベーター出入り口に走りました。すぐにとんでもなく不吉な予感に体が震えました。いつも娘の足音をきいて、ドアを開けていた私は、家の前に娘が来ていないことは間違いなく、またランドセルを持ったままどこかに行くような子ではなかったからでした。
 その後は「命を奪わないで、お願い、お願い」と思いながら必死で捜しました。その30分ほどの間に野木被告宅のドアが、ガチャッとしめた音がして、もしかしてと思いました。
 娘がいなくなり、3時間以上たった午後6時ごろには、野木被告宅に娘が居ると確信していました。そして命がもうないことも直感で分かっていました。それから1時間半たち、物々しく捜査員の方が入ってきて、「残念ながら……」の一言で悲鳴をあげ、「だから野木さんの息子だって言ったでしょ」と言って何度も繰り返し、主人の腕を引っ張りました。これが事件当日のことです。
 そして変わり果てた姿で戻ってきた娘を見て、声と息が止まってしまいました。野木被告に口をふさがれた時のほおにつめ跡があり、両腕を押さえられたのか真っ青になっていました。何度も絞められた首は、かわいそうで見ることができませんでした。
 司法解剖の後のため頭を上げないでくださいとの指示があり、いつものように「お帰り」と抱き上げてやることができませんでした。
 本当に目の中に入れても痛くないと実感しながら育てた子でした。娘のほおに顔を押し当てると冷たいほおに涙が凍りつくようでした。私は娘を授かって本当に幸せでした。ですから殺されるなら私が代わってあげたかったとつくづく思いました。
 娘を失い、1週間以上息をするのが苦しくて一睡もできず、薬に頼るようになりました。娘のぬくもりが残っている胸をたたきながら寝ました。ストレスから、めまい、吐き気、過呼吸になり、夜中に救急車で病院に運ばれたこともありました。そのころは体重が12キロも落ちてしまい、立つこともできず家の中をはっていました。
 でもそんな私を救ってくれたのは息子の言葉でした。「楽しいことをたくさん考えるんだよ。お母さんも考えてごらん。薬飲んで、食べて、寝ていいよ」と目をこすりながら言ってくれました。
 今まで人を恨むことを知らなかった私ですが、野木被告の命を奪ってやりたいという思いを抑えるのが精いっぱいです。しかし、恨み続けることは、地獄の毎日です。娘を失った寂しさとつらさから、この命がなくなったらどんなに楽になるだろうと命を絶とうとさえ思いました。その思いを知る友人たちは「お願い生きていて、生きててくれたらそれでいい」と励ましてくれ、やっと生きています。
 娘は7年の命を絶たれたのに、野木被告は明日9日、無期懲役かそれを下回る刑を言い渡されます。刑務所を出れば彼は偽名でも使って何十年も自由に生きられます。これでいいのでしょうか。
 心理鑑定では、彼のような幼児性愛の性犯罪者も十分矯正可能であるかのような話でしたが、欧米では治療や矯正に取り組んでも難しいと言われています。多発する事件を抑止するために国会でも取り組みをお願いし、終身刑を設けたり、幼少年者の虐殺犯の重罪化をしてほしいと思います。
 最後に報道関係者のみなさまにお願いですが、最近起きた2件の小学1年生、被害者遺族のみなさまのため、しばらくの間、そっと見守っていただき1日も早く静かな生活が取り戻せるようご配慮下さるようお願い申し上げます。

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2月23日〜27日までに奪われた光

 2004年2月23日、鳥見颯姫(さつき)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。「注意しても謝らないので夕食抜きにしたが従わず腹が立った」として、風呂場で颯姫ちゃんは頭をけられるなどされ、硬膜下血腫で亡くなりました。
 2005年2月27日正午ごろ、藤井孝平ちゃん(当時2歳)と彩菜(あやな)ちゃん(生後21日)が、母親らとともに殺害されました。岐阜県中津川市で起きた一家殺害事件で、犯人は二人の祖父でした。先に絞殺された母親の遺体を見て、「ママ、大丈夫なの」と聞いた孝平ちゃんは、おびえて泣きそうな目をしていたという。それにもかまわず、そのまま力を込めて絞殺され、そして、無抵抗の彩菜ちゃんは、鼻と口を左手で押さえ、右手で首を絞めて、殺害。このニュースを知ったときは、本当に衝撃的でした。

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2月19日に奪われた光

 2002年2月19日に、藤嶋飛士己(ひとき)ちゃん(当時1歳2ヶ月)が、保育施設の小鳩幼児園々長の虐待によって殺害されました。
 ひときちゃんのご両親が運営されている「天使からの遺言」では、ひときちゃんの生まれてからの成長する姿が写真で掲載されていますが、この事件によって、その後の姿をみることができなくなりました。事件から4年がたち、ひときちゃんが生きていれば、4月からは年長さんになっているはずでした。非常に残念でなりません。

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@nifty:NEWS@nifty:園児2人刺殺 同級生母を逮捕「友達ができない」(夕刊フジ)

リンク: @nifty:NEWS@nifty:園児2人刺殺 同級生母を逮捕「友達ができない」(夕刊フジ).

 多くの人の祈りもむなしく、迅ちゃんは正午前に息を引き取りました。子供の友達を殺害するというこの事件を聞き、1999年11月22日に起きた若山春奈ちゃんの事件を思い出します。その背景などには違いがあるかもしれませんが、どちらも非常に悲しい出来事です。
 今回の事件で犠牲になった二人の子供の御冥福をお祈り申し上げるとともに、二度とこのような事件が起きないことを希望します。

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@nifty:NEWS@nifty:通園の2園児殺傷、別の園児の母親を逮捕…滋賀(読売新聞)

リンク: @nifty:NEWS@nifty:通園の2園児殺傷、別の園児の母親を逮捕…滋賀(読売新聞).

 また、痛ましい事件が発生しました。通園時に、武友若奈ちゃん(5歳)と佐野迅ちゃん(5歳)が、鋭利な刃物で数箇所刺されました。若奈ちゃんは亡くなり、迅ちゃんは意識不明の重体となっています。
 若奈ちゃんのご冥福をお祈りするとともに、迅ちゃんの回復をお祈りします。

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1月30日から2月11日までに奪われた光

 1998年1月30日、石原克則ちゃん(当時12歳)が、小学校から帰宅途中の路上で犯人に、マフラーで首を絞められそうになって、逃げたところを包丁で首を刺されて殺害されました。
 2003年1月25日には鳴海香織ちゃん(当時5歳)が、2005年1月28日には堀内香澄ちゃん(当時7ヶ月)が、同年年1月30日には畠山琉星(りゅうせい)ちゃん(当時3歳)が、同年2月1日には谷本琉美(るみ)ちゃん(当時2ヶ月)が、同年2月8日には酒井弘之(ひろゆき)ちゃん(当時7ヶ月)が、同年2月11日には佐藤大輝(だいき)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。
 そして、今年、2月7日、島内碧(へき)ちゃん(当時3歳)と山下歩夢(あゆむ)ちゃん(当時3歳)が、更に、2月10日、金光奎亮(けいすけ)ちゃん(当時3歳)と里紗ちゃん(当時1歳)が亡くなりました。
 少子化問題が注目されていますが、子供を社会が守ろうとする姿勢、いろいろな施策もさることながら、重要なことではないかと思っています。子供を作らせようとするだけではなく、子供ができた後、子育てに苦悩する親をサポートする体制は、まだまだ、不十分ではないかと感じます。子育てに苦悩するあまり、子供を殺害するという事件、決して許されることではないでしょうが、親を非難するのは簡単ですが、その原因を突き止め、解決していくことを考えなければ、安心して子供を生むことはできません。
 そんなことを考えながら、犠牲になった子供たちのご冥福と犠牲が無駄にならないことを祈ります。

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1月20日〜22日に奪われた光

 2004年1月20日、高橋桃々(るる)ちゃん(当時4ヶ月)が亡くなりました。この事件は、2003年12月16日に、年賀状用写真を撮影しようとした際に、桃々ちゃんが思い通りにならなかったことで、頭を殴り、それが原因で脳の機能障害によって亡くなった事件です。
 1987年1月22日に、辻角公美子ちゃん(当時9歳)が殺害された事件から20年という年月が経過しました。この事件は、「警察庁広域指定一二二号事件」といわれ、犯人は2005年7月9日に最高裁で「「9歳の前途ある女児を殺害した上、安否を気遣う父親に対し身代金を要求した所為は冷酷、卑劣極まりない非人間的な所業というほかない。まな娘を奪われた両親ら遺族の被害感情が峻烈(しゅんれつ)なのも当然だ」として、死刑が確定しています。死刑が確定したとしても、公美子ちゃんが生きていたであろうこの20年を元に戻すことは叶わない。
 そして、昨年の1月22日には、花弥樹莉(じゅり)ちゃん(当時3歳)が、亡くなりました。この事件は、母親と同居男性が、十分な食事を与えず、また、暴行を行い、衰弱後も治療を受けさせず、餓死させたものです。
 更に、今年の1月22日は、木村月(るな)ちゃん(当時6歳)、村上唯(ゆい)ちゃん(当時9歳)と蓮(れん)ちゃん(当時6歳)、小池萌咲(もえ)ちゃん(当時9歳)と壱星(いっせい)ちゃん(当時7歳)が亡くなるという事件が起きました。
 この子達のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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1月8日に奪われた光

 1998年1月8日、幼稚園の送迎バスを待っていた大国加奈ちゃん(当時5歳)が、19歳の少年に背中を刺されて殺害されました。少年はシンナーを吸っていたそうです。この事件では、週刊誌が少年の実名と顔写真を掲載して、社会問題になりました。加奈ちゃんのご冥福をお祈り申し上げます。

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12月27日〜1月1日に奪われた光

 2004年12月27日、堀内美久(みく)ちゃん(当時9歳)と賢夢(けんむ)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。養育に悩んだ末の母親による犯行でした。
 2000年12月30日深夜から31日早朝にかけて、宮沢にいなちゃん(当時8歳)、礼ちゃん(当時6歳)を含む一家4人が殺害されました。大晦日に突如として起きた事件の報道の衝撃を未だに覚えています。この事件の犯人は、いまだに見つかっていません。なぜ、殺されなければならなかったのか、全く、分からない状況です。強盗目的という話もあるものの。
 2005年1月1日、前川航希(こうき)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。この事件は、同居していた祖母による暴行による事件です。検察の冒頭陳述では、「なつかなった」などということが理由として挙げられていましたが、なつかないから暴行するという行動には理解できない部分が多い。
 この子達のご冥福を心よりお祈り申し上げ、悲劇がなくなることを再度繰り返し願うしだいです。

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12月17日、20日に奪われた光

 2002年12月17日に、井本愛里ちゃん(当時6歳)が亡くなりました。事実関係が裁判中のために確定していませんが、孤独な育児から精神的に追い詰められてのことだと考えられています。子育ての支援というのは、益々重要になるということを感じます。
 2004年12月20日、川北依楼(えみる)ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。食事をせずに泣き出したことに腹を立てた、同居男性に、顔を殴られたことによる外傷性脳障害で亡くなりました。子供はくずるものです。確かに、腹が立つことはあるけれど。殴らなくてもと思うんですが。

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12月13日に奪われた光

 2004年12月13日に、大孝ありすちゃん(当時3歳)が亡くなりました。
 この事件は、2004年11月24日に、ほほを数回殴り突き飛ばすなどして失神させた上、浴室でコップに注いだ水を大量に飲ませ、全身に冷水シャワーを浴びせるなどして、全身打撲や肺水腫などで意識不明の重体になり、12月13日に、ありすちゃんは、独りぼっちで息を引き取りました。そして、3日後に、幼稚園葬が営まれましたが、喪主も身内もいないものでした。
 この年の8月から、近所では、ありすちゃんの「ママ、痛い、やめて」という悲鳴を聞いている人や路上で娘を何度も平手打ちする様子を目撃していた人がいたにもかかわらず、「かかわり合いになりたくなかった」、「虐待なのかどうか判断できなかった」といった理由から、通報がされませんでした。
 この事件の記事を読んでいて、子供たちを親だけでなく、地域で守っていかなければいけないということが必要なんだと痛切に感じました。

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12月9日に奪われた光

 1990年12月9日に、智片直子ちゃん(当時11歳)が、亡くなりました。1990年10月14日に、自宅に侵入した犯人に首を絞められ、家族や同級生などの懸命の祈りも届かずに、息を引き取りました。56日間、がんばって家族の下へ戻ろうとしていた直子ちゃんのことを思うと、言葉もありません。
 しかも、この事件は、本日、時効が成立してしまいました。非常に、残念でなりません。生きていれば26歳。この15年間で、たくさんの友達と学んだり、遊んだりしていたはずなのに。
 犯人は、どういう思いで生きているのであろうか。
 この事件に関する新聞記事を検索していて、1993年8月2日の読売新聞(大阪夕刊)の記事を読んみました。記事は、大阪府大東市で、1975年に行方不明となり、1978年に遺体で発見された前田和哉ちゃんに関する記事でした。行方不明当時3歳ということなので、生きていると私と同じくらいになっていることを思うと、残念でなりませんでした。この事件も時効が成立しています。
 また、この記事で、当時未解決となっている殺人事件の犠牲者となった子供たちも記載されていました。なぜ、子供の命を奪うのか。どうか、もう、子供の命を奪わないで下さい。

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12月8日に奪われた光

 2001年12月8日に、黒川留圭(るか)ちゃん(当時3歳)が亡くなりました。
 生きていると小学校の2年生。小学校2年生の男の子だと、元気に遊びまわっていることです。でも、そんなことはできなくなってしまったことは、非常に残念です。

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栃木小1女児殺害事件

 12月1日に行方不明となっていた吉田有希(ゆき)ちゃん7歳が遺体となって発見された。最悪の結果である。無事を祈っていた多くの人たちが無念さと怒りを覚えたに違いない。
 なぜ、命を奪う必要があるのか。本当に「どういうつもりなのか」と問いたい。犯人は、今、どのような気持ちで生活をしているのだろうか。何も感じていないのか。それとも、後悔や逮捕されることへの不安や恐怖でいるのか。何を考えているのか全く理解不能である。
 犯人に問いたい。あなたがこの世で最も大切なものを奪われたらどういう気持ちになるのか。それは、有希ちゃんのご両親の気持ちはそれ以上につらいことなのですよ。
 もう、子供の命を奪うことは、やめてほしい。

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12月1日に奪われた光

 2004年12月1日、藤田優人ちゃん(当時2歳)が亡くなりました。この事件から1年が過ぎ、現在、生きていれば3歳ということになります。優人ちゃんの父親は亡くなっており、伯父の下で暮らしていたそうです。天国でお父さんに、沢山、甘えられているといいなと思います。

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@nifty:NEWS@nifty:茨城・常陸大宮で少女の遺体発見、不明の小1女児か(読売新聞)

リンク: @nifty:NEWS@nifty:茨城・常陸大宮で少女の遺体発見、不明の小1女児か(読売新聞).
 広島の木下あいりちゃんが殺害された事件の犯人が逮捕されたと思ったら、また、子供の命を奪う者が現れてしまった。今回は、茨城県の常陸大宮市で遺体が発見された。刺し傷があるという。
 この子が、どんな気持ちでいたのだろうか。怖かったに違いない。親に会いたいと願ったに違いない。こんなことを考えると、犯人に対して、強い怒りを覚えずにはいられない。なぜ、人の命を奪うのか。

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11月27日に奪われた光

 2003年11月27日、浅川美夢(みみ)ちゃん(当時4カ月)が亡くなりました。
 浅川美夢は、生きていれば2歳4ヶ月。走ったりもできるようになっているだろうし、いろいろな遊びを覚えているころじゃないだろうか。天国で、友達と砂場などで遊んでいるのだろうか。

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@nifty:NEWS@nifty:小1女児殺害される、粘着テープ巻かれ段ボール箱に(読売新聞)

リンク: @nifty:NEWS@nifty:小1女児殺害される、粘着テープ巻かれ段ボール箱に(読売新聞).

 また、幼い命が奪われてしまった。犠牲になったのは、小学1年生の木下あいりちゃん(7歳)。学校から帰る途中であったそうです。
 朝、元気に学校に出かけたんだろう。それが、なぜ、殺されてしまったのか。希望と不安の中始まったであろう小学校生活。これから、たくさん楽しいことが待っていたはずなのに。もう、微笑むこともできない。
 ご両親は、犯人に殺されるために、あいりちゃんを育てていたのではないのですよ。それがわからないのだろうか。
 先日、奈良小1女児殺害事件の被害者のご両親の手記が、新聞各紙で報道され、もうこんなことがおきないでほしいと、訴えていた矢先に。
 命は、戻らないんです。子供の命を奪わないで欲しい。

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11月22日に奪われた光

 1999年11月22日に、若山春奈ちゃん(当時2歳)が殺害されました。
 全く罪のない幼い子供が犠牲になってしまいました。裁判記録を見ると、なぜ、そのようなことができるのか。不思議でならない。憎しみが、幼い命へと伸びてしまうのか。一人の親として、本当につらい気持ちになります。

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奈良小1女児殺害事件から1年

 1年前の11月18日、有山楓(かえで)ちゃん(当時7歳)が、犯人に誘拐された後、殺害されました。ご両親の心境が報道されています。本当に痛ましい事件であり、子供たちの安全を心から祈っています。
 また、2003年11月15日には、小西加織ちゃん(当時5歳)が、2003年11月17日には、安部憂那ちゃん(当時5ヶ月)が亡くなりました。
 この子達の命が無駄にならないように。

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11月8日に奪われた光

 2004年11月8日、井口桃華ちゃん(当時6ヶ月)が亡くなった事件から1年が過ぎました。
 今、生きていれば、1歳6ヶ月。うちの下の娘と同じくらい。歩いたり、かたことでも話しかけたりしている時期です。パパ、ママ、アンパンマンなんていっているはずです。でも、もうこの世にはいないと思うと、顔も知らないけれど、寂しい思いがします。

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千葉市稲毛区での二児殺害事件で判決

 2003年6月28日に、千葉市稲毛区で起きた当時6歳と4歳の男児2人が母親に殺害された事件の判決が、2005年1月28日にあった。「言うことを聞かない子供らに腹を立てて殺害した極めて短絡的な犯行」(金谷暁裁判長)と指摘したというが、「長男は息を引き取る際、小さな声で『お母さん、ごめんなさい』」(四国新聞社)といったそうです。それをみて、更に、やりきれない思いがこみ上げてきた。

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